昨日のことが「夢」のように思われることはありませんか?

あまりに非日常的な経験をした翌日は、特にそう感じることが多くあります。

ディズニーランドのように、まさに夢の世界に行って遊んだ翌日、いつもと変わらない日常に戻ったとき。
豪華なディナーを好きな人と楽しんだ翌朝、ごはんと味噌汁と納豆を食べて出勤しようとするとき。
美しい景色や町並みに感動した旅行から帰ってきた翌日、普段どおりの日常が始まった朝。

そんな時、昨日、本当にそんなことがあったのかなぁ…?
なんだか夢みたい、と思ったりすることってありませんか?

昨日のことでさえ、夢みたいに思えてしまうので、もっと過去のことは、なお更です。
思い出せないことについて他人から言われると、

「あれ?そんなこと、あったっけ?」

なんて、自分の過去にはまるで無かったことになってしまっています。

ブログを振り返ってみると実に面白いです。
その時に思ったこと、感じたことが記録されているわけで、さかのぼって読んでみると、

「オレ、こんなこと書いてるよォ」

と自分で恥ずかしくなったり、

「そんなこと考えてたんだぁ」

と他人事みたいに言ってみたり。

書いた当時は、本気でそう思っていたし、間違いなく私の思いで書いた文章なのに、時が経って読んでみると、

「何か、今の自分と違うよな」

と感じたりします。

今、「これがオレ」「これが私」と思っている“自分”へのイメージは、何によって出来たものかな、とフト思ってしまいます。

いろいろな経験を通じて、思ったことや感じたこと、うまく出来たことや失敗したこと、或いは他人からいろいろ言われたことなど、そういうことを通じて、自分自身で「私はこういう人」というイメージを漠然と作り上げた「私」であることに気づかされます。


でも、それが間違いない「自分」かと言われると、自信がありません。

「オレって飽きっぽい性格でさぁ…」

と言いながら、大好きなアーティストの歌を何度も繰り返して聴いていたり、

「私って自己中(自己中心的)なの」

と言っていながら、他人のために一生懸命になっていたり。


しかも、これはあくまで性格のことであって、“私自身”ではない。

ある事に対して“こういう傾向がある”と自分なりに分析しているに過ぎないわけですから。

自分の評価と他人の評価と、大きなズレがあるのも事実。

どちらが本当かと言われても、判断できません。


だけど、問題は、その自分を分析している“私”が何者か、ということ。
(なんだか、ややこしくなってきましたが…)


こうなると、てんで“自分”というものがわからなくなります。

私とは、どういう存在なのでしょうか?


◆ ひとりごと ◆


昨日も、すごい風の一日でした。

外をちょっと歩くと、髪がボサボサになりますね。

最近、卵ご飯に再びハマっています。

以前は、生卵にしょう油だけだったんですが、

ふと見た情報誌に「ゆずこしょうがイイ!」とあったので、

試しに加えてみると、これがオイシイ!!!!

ちょっとした工夫で、こんなに違うなんてっ!!

かなりオススメです。



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