夕食の時、NHKのクローズアップ現代
「ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで~」
を観ていました。
「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えていますが、
その一方で、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないか
という疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつある現状を取り上げていました。
その中で、今年の9月に亡くなった田嶋華子さん(享年18)の取材は、考えさせられる内容でした。
8歳で心臓移植。
さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声を失う。
『これ以上の「延命治療」は受けたくない』
と家族と葛藤を繰り返した華子さんは、腎臓が悪くなったこの夏、
「人工透析」を拒否して、家族と一緒にいられる自宅療養を選び、
9月に肺炎をこじらせて亡くなりました。
医療の現場では、助かる見込みのない患者を前に、
「なぜ生きるか、生かすのか」
この問いが医師や家族に容赦なく突きつけられます。
医師は、毎日、人の生死と向き合っています。
寝たきりになって、言葉も話せなければ、ご飯も食べられない。
それで、おなかに穴を開けて胃に栄養を流し込む。
そんな人を診る意味があるのか、多くの関係者が悩んでいるようです。
それらの医療費が、国の医療経済を圧迫し、
このままなら破綻する、というおそれから、
“そんな医療はやめたほうがいい”
という過激な声も出てきているといいます。
富山県射水市の市民病院で、数年前、
外科部長が7人の患者の人工呼吸器を外し、
“安楽死”させていたという事件が起きました。
長い審議の末、平成21年、その外科医は不起訴になっています。
生きていても苦痛しかなく、治る見込みもなく、
家族も暗黙の了解をしている場合に、
この医師の執った行動を、検察も追及できなかったのです。
「なぜ殺していけないのか」
「なぜ生きるのか」
だれも分からない命題なのでしょう。
救急車で運ばれてきて、検査の結果、
助かる見込みがないとわかった患者の家族に、
医師は、
「延命治療をしますか?」
と聞くそうです。
家族にとっては、これほど戸惑う質問はないでしょう。
全く心の準備ができていない状態で、突きつけられるのですから。
いったん延命治療を始めると、それを途中ではやめられません。
やめたら、射水市民病院の事件と同じで、
現在の法律では殺人罪で起訴される可能性があります。
クローズアップ現代で取り上げていたように、
延命治療といっても、様々な問題点があるのです。
常識的に、誰もが人命が非常に重いことは感じるでしょう。
だから全力で、命を守ろうとします。
それが人間としての正常な感覚ではないでしょうか。
しかし、治る見込みがなく、
“患者の尊厳”が損なわれる状況になると、どうでしょう?
「この人には、生きる価値がないのでは?」
医療の現場でも、そんな心が起きてくると言います。
「人命は地球よりも重い」と聞いても、多くの人はおかしいとは思いません。
むしろ、「人命なんか重くない」と言う人がいれば、
危険な考えを持つ人、異常な人、と見なされます。
しかし、「人命は地球よりも重い」と言われる根拠が
ハッキリしている人はどれだけあるでしょうか?
根拠がないから、戦争になれば平気で人命を奪うことが行われます。
多くの人命を奪った人が称賛されるのです。
その戦場に医師も行って、人命救助の活動をします。
人命を奪う人、人命を助けようとする人が、
同じ場所で入り乱れるわけですから、おかしなことです。
なぜ人命が地球より重いのか、
その根拠がなければ、生かしたり殺したりするのは、
結局、その時、その場の人たちの“都合”ということに
なってしまうのではないでしょうか。
臓器移植をしてまで生きるのは、なぜか?
やがて必ず消えゆく命、そうまで延ばして、何をするのか?
多くの人の善意で渡米し、移植手術に成功した人が、
仕事もせずギャンブルに明け暮れ、
周囲を落胆させた、ということがありました。
「寄付金を出したのはバカみたい!」
支援者が憤慨したのもわかります。
命が延びたことは良いことなのに、なぜか釈然としないのは、
延びた命の目的が、曖昧模糊になっているからではないでしょうか。
臓器提供者の意思の確認や、プライバシーの保護、
脳死の判定基準など、二次的問題ばかりが取り上げられて、
それらの根底にある
「臓器移植してまでなぜ生きるのか」
という確認が、少しもなされてはいないようです。
つらい思いをして病魔と闘う目的は、
ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。
『もしあの医療で命長らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった』
と、生命の大歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。
◆ ひとりごと ◆
人間ドックを受けた結果が送られてきまして、
要検査項目があり、大腸の内視鏡検査を受けることになりました。
しかも、来年の1月(今年は予約でいっぱいのため)。
当日は、おなかの中をスッカラカンにしないといけないため、
下剤とか、2リットルほどの薬品とかを飲まないといけないらしいです。
でも、これも体の異常をチェックするため。
有り難く受けないといけないですよね。
最近、20代や、30代、40代の皆さんにとって、
仏教って何だろう?ということをよく考えます。
ふだんの生活で、「仏教を学ぼう」ということは
思わないと思うんですよね。
「自分と何の関係もないこと」
と思っているから、聞く理由がありません。
でも、もし、今、人間関係で苦しんでいるとして、
その解決方法をズバリ教えられているんですよ、
と聞けば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
もし、今、お金がなくて苦しんでいるとして、
お金がガッポリ儲かる方法が説かれているんですよ、
と聞けば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
もし、今、病気で苦しんでいるとして、
どんな病気も治る方法が教えられているんですよ、
と知れば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
もし、今、恋人ができなくて苦しんでいるとして、
すぐに恋人ができる方法が説かれているんですよ、
と聞けば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
ただ、そういった苦しみや悩みが解決されたとして、
本当に幸せに生きられるかというと、それはまた別問題です。
人間関係も、お金も、病気も、恋愛にも、
特に困っていない人は、では幸せか、というと
そうではないわけですから。
実は、お釈迦様がそうであったんです。
もともと、お釈迦様は、インドの王様夫妻の太子として
生まれられました。
シッタルタ太子と言われ、
武芸も学問も並ぶものはなく、才知才能に優れ、
インドで一番の美女と結婚されました。
子供にも恵まれましたが、太子の心は暗く沈んでいました。
それは、健康、財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、
やがてすべてに見捨てられる時が来る。
どんな幸福も続かないことを知っていた太子は、
心からの安心も満足もできなかったのです。
“この世のものは皆滅びゆく。どうすれば、崩れない本当の幸福になれるのか”
シッタルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、日に日に強くなっていきました。
そこでついに29歳の2月8日、
シッタルタ太子は夜中密かに城を抜け出し、
山奥深く入られ、私たちの想像もできない厳しい修行を、6年間されました。
そして35歳の12月8日、ついに仏の悟りを得られたのです。
お釈迦様は、80歳2月15日にお亡くなりになるまでの45年間、
すべての人が本当の幸せになれる道一つを、説き続けていかれました。
そのお釈迦様の教えを、今日、仏教といわれます。
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「ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで~」
を観ていました。
「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えていますが、
その一方で、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないか
という疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつある現状を取り上げていました。
その中で、今年の9月に亡くなった田嶋華子さん(享年18)の取材は、考えさせられる内容でした。
8歳で心臓移植。
さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声を失う。
『これ以上の「延命治療」は受けたくない』
と家族と葛藤を繰り返した華子さんは、腎臓が悪くなったこの夏、
「人工透析」を拒否して、家族と一緒にいられる自宅療養を選び、
9月に肺炎をこじらせて亡くなりました。
医療の現場では、助かる見込みのない患者を前に、
「なぜ生きるか、生かすのか」
この問いが医師や家族に容赦なく突きつけられます。
医師は、毎日、人の生死と向き合っています。
寝たきりになって、言葉も話せなければ、ご飯も食べられない。
それで、おなかに穴を開けて胃に栄養を流し込む。
そんな人を診る意味があるのか、多くの関係者が悩んでいるようです。
それらの医療費が、国の医療経済を圧迫し、
このままなら破綻する、というおそれから、
“そんな医療はやめたほうがいい”
という過激な声も出てきているといいます。
富山県射水市の市民病院で、数年前、
外科部長が7人の患者の人工呼吸器を外し、
“安楽死”させていたという事件が起きました。
長い審議の末、平成21年、その外科医は不起訴になっています。
生きていても苦痛しかなく、治る見込みもなく、
家族も暗黙の了解をしている場合に、
この医師の執った行動を、検察も追及できなかったのです。
「なぜ殺していけないのか」
「なぜ生きるのか」
だれも分からない命題なのでしょう。
救急車で運ばれてきて、検査の結果、
助かる見込みがないとわかった患者の家族に、
医師は、
「延命治療をしますか?」
と聞くそうです。
家族にとっては、これほど戸惑う質問はないでしょう。
全く心の準備ができていない状態で、突きつけられるのですから。
いったん延命治療を始めると、それを途中ではやめられません。
やめたら、射水市民病院の事件と同じで、
現在の法律では殺人罪で起訴される可能性があります。
クローズアップ現代で取り上げていたように、
延命治療といっても、様々な問題点があるのです。
常識的に、誰もが人命が非常に重いことは感じるでしょう。
だから全力で、命を守ろうとします。
それが人間としての正常な感覚ではないでしょうか。
しかし、治る見込みがなく、
“患者の尊厳”が損なわれる状況になると、どうでしょう?
「この人には、生きる価値がないのでは?」
医療の現場でも、そんな心が起きてくると言います。
「人命は地球よりも重い」と聞いても、多くの人はおかしいとは思いません。
むしろ、「人命なんか重くない」と言う人がいれば、
危険な考えを持つ人、異常な人、と見なされます。
しかし、「人命は地球よりも重い」と言われる根拠が
ハッキリしている人はどれだけあるでしょうか?
根拠がないから、戦争になれば平気で人命を奪うことが行われます。
多くの人命を奪った人が称賛されるのです。
その戦場に医師も行って、人命救助の活動をします。
人命を奪う人、人命を助けようとする人が、
同じ場所で入り乱れるわけですから、おかしなことです。
なぜ人命が地球より重いのか、
その根拠がなければ、生かしたり殺したりするのは、
結局、その時、その場の人たちの“都合”ということに
なってしまうのではないでしょうか。
臓器移植をしてまで生きるのは、なぜか?
やがて必ず消えゆく命、そうまで延ばして、何をするのか?
多くの人の善意で渡米し、移植手術に成功した人が、
仕事もせずギャンブルに明け暮れ、
周囲を落胆させた、ということがありました。
「寄付金を出したのはバカみたい!」
支援者が憤慨したのもわかります。
命が延びたことは良いことなのに、なぜか釈然としないのは、
延びた命の目的が、曖昧模糊になっているからではないでしょうか。
臓器提供者の意思の確認や、プライバシーの保護、
脳死の判定基準など、二次的問題ばかりが取り上げられて、
それらの根底にある
「臓器移植してまでなぜ生きるのか」
という確認が、少しもなされてはいないようです。
つらい思いをして病魔と闘う目的は、
ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。
『もしあの医療で命長らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった』
と、生命の大歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。
◆ ひとりごと ◆
人間ドックを受けた結果が送られてきまして、
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しかも、来年の1月(今年は予約でいっぱいのため)。
当日は、おなかの中をスッカラカンにしないといけないため、
下剤とか、2リットルほどの薬品とかを飲まないといけないらしいです。
でも、これも体の異常をチェックするため。
有り難く受けないといけないですよね。
最近、20代や、30代、40代の皆さんにとって、
仏教って何だろう?ということをよく考えます。
ふだんの生活で、「仏教を学ぼう」ということは
思わないと思うんですよね。
「自分と何の関係もないこと」
と思っているから、聞く理由がありません。
でも、もし、今、人間関係で苦しんでいるとして、
その解決方法をズバリ教えられているんですよ、
と聞けば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
もし、今、お金がなくて苦しんでいるとして、
お金がガッポリ儲かる方法が説かれているんですよ、
と聞けば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
もし、今、病気で苦しんでいるとして、
どんな病気も治る方法が教えられているんですよ、
と知れば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
もし、今、恋人ができなくて苦しんでいるとして、
すぐに恋人ができる方法が説かれているんですよ、
と聞けば、「聞いてみたい」と思うかもしれません。
ただ、そういった苦しみや悩みが解決されたとして、
本当に幸せに生きられるかというと、それはまた別問題です。
人間関係も、お金も、病気も、恋愛にも、
特に困っていない人は、では幸せか、というと
そうではないわけですから。
実は、お釈迦様がそうであったんです。
もともと、お釈迦様は、インドの王様夫妻の太子として
生まれられました。
シッタルタ太子と言われ、
武芸も学問も並ぶものはなく、才知才能に優れ、
インドで一番の美女と結婚されました。
子供にも恵まれましたが、太子の心は暗く沈んでいました。
それは、健康、財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、
やがてすべてに見捨てられる時が来る。
どんな幸福も続かないことを知っていた太子は、
心からの安心も満足もできなかったのです。
“この世のものは皆滅びゆく。どうすれば、崩れない本当の幸福になれるのか”
シッタルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、日に日に強くなっていきました。
そこでついに29歳の2月8日、
シッタルタ太子は夜中密かに城を抜け出し、
山奥深く入られ、私たちの想像もできない厳しい修行を、6年間されました。
そして35歳の12月8日、ついに仏の悟りを得られたのです。
お釈迦様は、80歳2月15日にお亡くなりになるまでの45年間、
すべての人が本当の幸せになれる道一つを、説き続けていかれました。
そのお釈迦様の教えを、今日、仏教といわれます。

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