柔道の世界選手権が始まりましたね。
早速、メダルの情報も届いてます。
柔道は、高校時代、体育の格技の時間でやっていました。
受身、投げ技、寝技の練習とか、懐かしいですね☆
柔道の先生が、コワいけど面白い人で、
「よし、今から四角い円になれ!」
とか、
「そこに黄色い白線を引け!」
とか、無理難題の号令を出すので
多くの伝説が残っています(今も伝説を作り続けていると思います)。
皆さんの学校にも、名物先生、いましたか?
さて、お釈迦様の「人間の実相の譬え」の続きをお話しましょう。
旅人の命綱であった藤づるを白と黒の2匹のネズミが、
ガリガリとかじっていた。
藤づるとは、私たちの寿命であり、
それを削る白と黒のネズミとは、
白のネズミは昼、黒のネズミは夜を譬えたものでした。
では、藤づるが噛み切られたら、
旅人はどうなってしまうか?
底の知れない深海に堕ちます。
これは、私たちは死ねばどうなるのかを
お釈迦様が譬えられたものです。
深海とは、「後生の一大事」を表わします。
初めて聞く方もあると思いますが、
仏教は、「後生の一大事」を知るところから始まり、
「後生の一大事」の解決で終わる教えです。
「後生の一大事」がわからなければ、仏教は何十年聞いてもわかりません。
大事な言葉なので、よく知っていただきたいと思います。
「後生」とは、一息切れた死後のことです。
死なんてまだまだ先のこと、と思ったらとんでもない。
何かのことで吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
100%の未来ですから、
後生と関係のない人は一人もありません。
次に、「一大事」とは、どんなことか?
仏教に、こんな話が伝えられています。
お釈迦様が、托鉢の道中でのこと。
大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘がたもとへ石を入れていました。
「自殺の準備に違いない」
娘のそばまで行かれたお釈迦様は、優しくその訳を尋ねられました。
相手がお釈迦様と分かった娘は、心を開いて苦しみのすべてを打ち明けました。
「お恥ずかしいことですが、
私はある人を愛しましたが、捨てられてしまいました。
世間の目は冷たく、やがて生まれてくる
おなかの子の将来などを考えますと、
いっそ死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。
こんな私を哀れに思われましたら、どうかこのまま死なせてくださいませ」
と、娘はよよと泣き崩れました。
お釈迦様は大変哀れに思われ、次のように諭されました。
「不憫なそなたには、例えをもって話をしよう。
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、
朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、
一体自分を苦しめているものは何なのか』。
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。
この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。
この車を壊そう』
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、
木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
「こんな乱暴な牛には、よほど頑丈な車でなければ、また壊される」
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。
それは今までの車の何十倍の重さであった。
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、
以前の何百倍も苦しむようになった牛は、
今さら壊すこともできず、深く後悔したが、
後の祭りであった。
牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、
この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、そなたは、この肉体さえ壊せば、
苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい
苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、
大きくて深い苦しみである。
そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」
そしてお釈迦様は、すべての人に、
死ねば取り返しのつかない一大事のあることを教えられました。
これを後生の一大事といわれます。
「そんなのお釈迦様の作り話でしょう?
死んで帰って来た人なんていないんだし」
という方も多いですね。
でも、いくらそう言い聞かせても、
「死ねばどうなるか」の不安はなくなりません。
その心こそ、人生を暗くする根本原因である、
と仏教では教えられているのです。
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
「仏教って、どうしていろんな宗派に分かれてるの?」
とよく聞かれます。
簡単にお答えしておきましょう。
お釈迦様のご説法を書き残したものを「お経」と言います。
その数は、全部で7千冊あまり。
膨大な数のお経です。
その中で、「出世本懐経(しゅっせほんがいきょう)」はどれか、
ということが、とても大切な問題なんです。
「出世本懐経」とは、お釈迦様が、
ご自身の本心を説かれたお経、ということ。
つまり、いちばん伝えたいことが説かれているお経ということです。
そして、この出世本懐経はどれかということで、
いろいろな宗派に分かれているんです。
例えば、『華厳経(けごんきょう)』を出世本懐経としているのが華厳宗、
真言宗なら『大日経』、天台宗は、『法華経』です。
だから同じ仏教なのに、宗派が分かれているんです。
親鸞聖人は、お釈迦様の出世本懐経は、
阿弥陀仏の本願を説かれた『大無量寿経』である、
と断言されています。
阿弥陀仏の本願とは、
「すべての人を必ず絶対の幸福に救い摂る」
と誓われた、阿弥陀仏のお約束のことです。
どうして親鸞聖人は、『大無量寿経』だけが
お釈迦様の出世本懐経だと断言されたのか、
ハッキリとその理由を教えられていますが、
少し専門的になるので、またの機会にしたいと思います。
*今回のひまわり日記 はいかがでしたか?
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受身、投げ技、寝技の練習とか、懐かしいですね☆
柔道の先生が、コワいけど面白い人で、
「よし、今から四角い円になれ!」
とか、
「そこに黄色い白線を引け!」
とか、無理難題の号令を出すので
多くの伝説が残っています(今も伝説を作り続けていると思います)。
皆さんの学校にも、名物先生、いましたか?
さて、お釈迦様の「人間の実相の譬え」の続きをお話しましょう。
旅人の命綱であった藤づるを白と黒の2匹のネズミが、
ガリガリとかじっていた。
藤づるとは、私たちの寿命であり、
それを削る白と黒のネズミとは、
白のネズミは昼、黒のネズミは夜を譬えたものでした。
では、藤づるが噛み切られたら、
旅人はどうなってしまうか?
底の知れない深海に堕ちます。
これは、私たちは死ねばどうなるのかを
お釈迦様が譬えられたものです。
深海とは、「後生の一大事」を表わします。
初めて聞く方もあると思いますが、
仏教は、「後生の一大事」を知るところから始まり、
「後生の一大事」の解決で終わる教えです。
「後生の一大事」がわからなければ、仏教は何十年聞いてもわかりません。
大事な言葉なので、よく知っていただきたいと思います。
「後生」とは、一息切れた死後のことです。
死なんてまだまだ先のこと、と思ったらとんでもない。
何かのことで吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
100%の未来ですから、
後生と関係のない人は一人もありません。
次に、「一大事」とは、どんなことか?
仏教に、こんな話が伝えられています。
お釈迦様が、托鉢の道中でのこと。
大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘がたもとへ石を入れていました。
「自殺の準備に違いない」
娘のそばまで行かれたお釈迦様は、優しくその訳を尋ねられました。
相手がお釈迦様と分かった娘は、心を開いて苦しみのすべてを打ち明けました。
「お恥ずかしいことですが、
私はある人を愛しましたが、捨てられてしまいました。
世間の目は冷たく、やがて生まれてくる
おなかの子の将来などを考えますと、
いっそ死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。
こんな私を哀れに思われましたら、どうかこのまま死なせてくださいませ」
と、娘はよよと泣き崩れました。
お釈迦様は大変哀れに思われ、次のように諭されました。
「不憫なそなたには、例えをもって話をしよう。
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、
朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、
一体自分を苦しめているものは何なのか』。
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。
この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。
この車を壊そう』
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、
木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
「こんな乱暴な牛には、よほど頑丈な車でなければ、また壊される」
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。
それは今までの車の何十倍の重さであった。
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、
以前の何百倍も苦しむようになった牛は、
今さら壊すこともできず、深く後悔したが、
後の祭りであった。
牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、
この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、そなたは、この肉体さえ壊せば、
苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい
苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、
大きくて深い苦しみである。
そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」
そしてお釈迦様は、すべての人に、
死ねば取り返しのつかない一大事のあることを教えられました。
これを後生の一大事といわれます。
「そんなのお釈迦様の作り話でしょう?
死んで帰って来た人なんていないんだし」
という方も多いですね。
でも、いくらそう言い聞かせても、
「死ねばどうなるか」の不安はなくなりません。
その心こそ、人生を暗くする根本原因である、
と仏教では教えられているのです。
━ ぴょんたの ◆◆
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「仏教って、どうしていろんな宗派に分かれてるの?」
とよく聞かれます。
簡単にお答えしておきましょう。
お釈迦様のご説法を書き残したものを「お経」と言います。
その数は、全部で7千冊あまり。
膨大な数のお経です。
その中で、「出世本懐経(しゅっせほんがいきょう)」はどれか、
ということが、とても大切な問題なんです。
「出世本懐経」とは、お釈迦様が、
ご自身の本心を説かれたお経、ということ。
つまり、いちばん伝えたいことが説かれているお経ということです。
そして、この出世本懐経はどれかということで、
いろいろな宗派に分かれているんです。
例えば、『華厳経(けごんきょう)』を出世本懐経としているのが華厳宗、
真言宗なら『大日経』、天台宗は、『法華経』です。
だから同じ仏教なのに、宗派が分かれているんです。
親鸞聖人は、お釈迦様の出世本懐経は、
阿弥陀仏の本願を説かれた『大無量寿経』である、
と断言されています。
阿弥陀仏の本願とは、
「すべての人を必ず絶対の幸福に救い摂る」
と誓われた、阿弥陀仏のお約束のことです。
どうして親鸞聖人は、『大無量寿経』だけが
お釈迦様の出世本懐経だと断言されたのか、
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