旅人がしっかりと握り締めている細い藤の蔓をかじるもの。
それは、どこから現れたのか、白と黒の2匹のネズミでした。
細い藤蔓とは、私たちの寿命をお釈迦様が譬えたものです。
その細い蔓を、さらに細くしているのが、白と黒のネズミです。
白のネズミは「昼」、黒のネズミは「夜」を表します。
2匹のネズミが交互に蔓をかじりながら回るように、
私たちの生命をヒルとヨルとが交互循環しながら
削っていることを喩えたものです。
これを読んでいる今が昼であれば、
あなたの藤蔓を、白のネズミがかじっています。
夜ならば、黒のネズミがかじっているのです。
ネズミには盆も正月もありません。
少しも休むことなく、かじり続けます。
そして最後、噛み切られる時が来ます。
昼に死ねば、最後の一噛みは、白のネズミであったということ。
夜に死ねば、黒のネズミに噛み切られた、ということです。
すでに藤蔓は、絹糸のように細くなっているのかもしれません。
ところで、皆さんは、お仏壇を開いて勤行をするとき、
お焼香をしますよね。
勤行とは、親鸞聖人の『正信偈(しょうしんげ)』と、
蓮如上人の『御文章』を拝読することです。
その際に立てるお線香は、何のためか、ご存知ですか?
線香は香木や香草を粉にして練ったもので、
独特のよい香りがします。
最近は、ラベンダーとか、白梅とか、
いろいろな香りのタイプがありますね。
仏教では、仏さま、つまり阿弥陀如来への礼儀として用いられます。
例えば私たちも、大事な人に会う時は、香水をつけたりして
においを消し、相手に不快感を与えないようにします。
人に対してさえにおいに気を遣うわけですから、
まして私たちを本当の幸せにしてくださる阿弥陀仏に
最も心を尽くすのは、仏教徒としては当然のことなのです。
それともう一つ。
勤行を始める時にたいた線香は、
終わるころには燃え尽きて灰になっています。
その様子を、やがて火葬場の灰となるわが身に重ねれば、
無常を観ずるご縁になるのです。
考えたくないことかもしれませんが、
忙しい忙しいと言っている間に、
私たちは一日一日間違いなく死に近づいています。
どんなに元気な人も、無常の風に吹かれれば、
たちまち一つまみの白骨になってしまうと蓮如上人も教えられています。
「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」
「行って来るぞ」と、朝、元気よく家を出て行った人が、
交通事故などで、見るも無残な姿で帰宅することがあります。
「行って」から帰って「来る」つもりで、
「行って来るぞ」と言うのですが、もう「来る」ことはないのです。
仏教は、無常観を大事にします。
無常感ではなく、無常観です。
無常とは、「常が無い」と書きます。
仏教では、この世の一切は、常が無く、変わり通しで、
続かないものばかりであると教えられています。
例外はありませんから、諸行(すべてのもの)無常といわれます。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり…」でも知られていますね。
身の回りの、たとえば机やイス、家や街、
この地球や、照りつける太陽でさえも、
歳月の差こそあれ、いずれ必ず滅んでゆきます。
中でも私たち人間にとって、最も深刻な無常は自分の死です。
この肉体も永遠ではありません。
だから「無常」を、そのまま「死」の意味としても使います。
この諸行無常の真理を、ありのままに見つめるのが無常観です。
「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」
と昔の人は言いました。
人生の意味を知るに、無常観は非常に大切なことなのです。
はかない命と知り、今の幸せも永久には続かないと知れば、
何のための人生か、何ものによっても崩れない幸福はあるのか、ないのか。
真剣に問わずにいられなくなります。
そのような心を、真実の幸福(菩提)を求める心、「菩提心」といいます。
無常を見つめることは、本当の幸福を求める第一歩です。
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
9月10日~16日は、自殺予防週間です。
内閣府が出しているポスターを見ました。
「あなたのまわりを見回してください。
あなたの力で救えるいのちがあります」
というフレーズ。
その下には、4つの項目が書かれてありました。
○気づき
家族や仲間の変化に気づいて声をかける
○傾聴
本人の気持ちを尊重し、耳を傾ける
○つなぎ
早めに専門家に相談するよう促す
○見守り
温かく寄り添いながら、じっくりと見守る
その内閣府がキャンペーンとして実施しているのが
「睡眠キャンペーン」。
うつが自殺につながると考えて、そのうつのサインかもしれない
不眠問題を事前に対処しよう、というもの。
毎年3万人超という日本の自殺者数を、何とか減らそう、
との取り組みで、平成19年からスタートした「自殺予防週間」ですが、
そこには、「命の大切さ」について「国民の理解の促進を図る」とも
ありました。
でも、その肝心な「命の大切さ」については、
ポスターにも、キャンペーンでも、ふれられていません。
政府の取り組みに疑問を感ずるのは、私だけではないと思います。
自殺のサインに気づくことは確かに大切です。
しかし、このような啓発活動をしながらも、
なぜに自殺者は一向に減らないのか?
また、毎年、行われている取り組みでありながら、
国民に浸透している感がないのはどうしてでしょう?
政府の自殺総合対策会議において、
自殺やうつ病に起因する経済的損失が、
2009年の1年間で2兆6782億円に上る、
との結果が報告されたそうです。
経済的損失を減らすために、自殺対策を行うのであれば、
それはまったくの目的違いで、論外です。
「人命は、地球より重い」
と時の首相は言いました。
一人の命が、日本の経済損失より重いのです。
「命は大切」と言いながら、金額に換算して
取り組もうとしている時点で、土台が間違っています。
取り組みを見直す必要があることは必然です。
なぜ「人命は地球より重い」のか?
にふれずして、本当の自殺対策はありえないでしょう。
「自殺予防週間」を縁として、一人一人が、
「なぜ命は大切なのか」について、
じっくりと考え、議論をし、見つめる機会になれば、
と願わずにおれません。
*今回のひまわり日記 はいかがでしたか?
「へぇ!」「なるほど!」「勉強になった」
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それは、どこから現れたのか、白と黒の2匹のネズミでした。
細い藤蔓とは、私たちの寿命をお釈迦様が譬えたものです。
その細い蔓を、さらに細くしているのが、白と黒のネズミです。
白のネズミは「昼」、黒のネズミは「夜」を表します。
2匹のネズミが交互に蔓をかじりながら回るように、
私たちの生命をヒルとヨルとが交互循環しながら
削っていることを喩えたものです。
これを読んでいる今が昼であれば、
あなたの藤蔓を、白のネズミがかじっています。
夜ならば、黒のネズミがかじっているのです。
ネズミには盆も正月もありません。
少しも休むことなく、かじり続けます。
そして最後、噛み切られる時が来ます。
昼に死ねば、最後の一噛みは、白のネズミであったということ。
夜に死ねば、黒のネズミに噛み切られた、ということです。
すでに藤蔓は、絹糸のように細くなっているのかもしれません。
ところで、皆さんは、お仏壇を開いて勤行をするとき、
お焼香をしますよね。
勤行とは、親鸞聖人の『正信偈(しょうしんげ)』と、
蓮如上人の『御文章』を拝読することです。
その際に立てるお線香は、何のためか、ご存知ですか?
線香は香木や香草を粉にして練ったもので、
独特のよい香りがします。
最近は、ラベンダーとか、白梅とか、
いろいろな香りのタイプがありますね。
仏教では、仏さま、つまり阿弥陀如来への礼儀として用いられます。
例えば私たちも、大事な人に会う時は、香水をつけたりして
においを消し、相手に不快感を与えないようにします。
人に対してさえにおいに気を遣うわけですから、
まして私たちを本当の幸せにしてくださる阿弥陀仏に
最も心を尽くすのは、仏教徒としては当然のことなのです。
それともう一つ。
勤行を始める時にたいた線香は、
終わるころには燃え尽きて灰になっています。
その様子を、やがて火葬場の灰となるわが身に重ねれば、
無常を観ずるご縁になるのです。
考えたくないことかもしれませんが、
忙しい忙しいと言っている間に、
私たちは一日一日間違いなく死に近づいています。
どんなに元気な人も、無常の風に吹かれれば、
たちまち一つまみの白骨になってしまうと蓮如上人も教えられています。
「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」
「行って来るぞ」と、朝、元気よく家を出て行った人が、
交通事故などで、見るも無残な姿で帰宅することがあります。
「行って」から帰って「来る」つもりで、
「行って来るぞ」と言うのですが、もう「来る」ことはないのです。
仏教は、無常観を大事にします。
無常感ではなく、無常観です。
無常とは、「常が無い」と書きます。
仏教では、この世の一切は、常が無く、変わり通しで、
続かないものばかりであると教えられています。
例外はありませんから、諸行(すべてのもの)無常といわれます。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり…」でも知られていますね。
身の回りの、たとえば机やイス、家や街、
この地球や、照りつける太陽でさえも、
歳月の差こそあれ、いずれ必ず滅んでゆきます。
中でも私たち人間にとって、最も深刻な無常は自分の死です。
この肉体も永遠ではありません。
だから「無常」を、そのまま「死」の意味としても使います。
この諸行無常の真理を、ありのままに見つめるのが無常観です。
「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」
と昔の人は言いました。
人生の意味を知るに、無常観は非常に大切なことなのです。
はかない命と知り、今の幸せも永久には続かないと知れば、
何のための人生か、何ものによっても崩れない幸福はあるのか、ないのか。
真剣に問わずにいられなくなります。
そのような心を、真実の幸福(菩提)を求める心、「菩提心」といいます。
無常を見つめることは、本当の幸福を求める第一歩です。
━ ぴょんたの ◆◆
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9月10日~16日は、自殺予防週間です。
内閣府が出しているポスターを見ました。
「あなたのまわりを見回してください。
あなたの力で救えるいのちがあります」
というフレーズ。
その下には、4つの項目が書かれてありました。
○気づき
家族や仲間の変化に気づいて声をかける
○傾聴
本人の気持ちを尊重し、耳を傾ける
○つなぎ
早めに専門家に相談するよう促す
○見守り
温かく寄り添いながら、じっくりと見守る
その内閣府がキャンペーンとして実施しているのが
「睡眠キャンペーン」。
うつが自殺につながると考えて、そのうつのサインかもしれない
不眠問題を事前に対処しよう、というもの。
毎年3万人超という日本の自殺者数を、何とか減らそう、
との取り組みで、平成19年からスタートした「自殺予防週間」ですが、
そこには、「命の大切さ」について「国民の理解の促進を図る」とも
ありました。
でも、その肝心な「命の大切さ」については、
ポスターにも、キャンペーンでも、ふれられていません。
政府の取り組みに疑問を感ずるのは、私だけではないと思います。
自殺のサインに気づくことは確かに大切です。
しかし、このような啓発活動をしながらも、
なぜに自殺者は一向に減らないのか?
また、毎年、行われている取り組みでありながら、
国民に浸透している感がないのはどうしてでしょう?
政府の自殺総合対策会議において、
自殺やうつ病に起因する経済的損失が、
2009年の1年間で2兆6782億円に上る、
との結果が報告されたそうです。
経済的損失を減らすために、自殺対策を行うのであれば、
それはまったくの目的違いで、論外です。
「人命は、地球より重い」
と時の首相は言いました。
一人の命が、日本の経済損失より重いのです。
「命は大切」と言いながら、金額に換算して
取り組もうとしている時点で、土台が間違っています。
取り組みを見直す必要があることは必然です。
なぜ「人命は地球より重い」のか?
にふれずして、本当の自殺対策はありえないでしょう。
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