お釈迦様と修行者の次のような問答が伝えられています。
「そなたもこの頃では、
命の短く危ういことがだんだんうなずけて来たらしいな」
お釈迦様の言葉に修行者は答える。
「本当にそうでございます。たちまち消え失せてしまいます」
すると、お釈迦様は、このようにおっしゃる。
「たちまちといっても、その感じ方にいろいろあるが」
修行者は、
「ハイ、世尊(お釈迦様)がお感じなされているのは、
どれくらいの速さでございましょうか」
「その速さは、とてもそなたには納得できない速さだ」
「たとえば、どれほどの速さでしょうか」
修行者の問いに、お釈迦様は次のような例えで教えられました。
「ここに弓を射る名人が4人いるとする。
一人は東方に向き、一人は南方に向き、
一人は西方に、もう一人は北方に、
それぞれその向きの彼方に的を定めて
4人が心を合わせて一度に矢を放つ。
名人の放つ矢は目にもとまらぬ速さで飛ぶ。
そこに足の速い男がいて、サッと走り出したと見る間に
4人の弓師が一度に放った矢を引っ捕らえてしまったとする。
この男の足は速いだろう」
「それは速いです。とても速いです」
「それよりも、もっともっと速いのが人間の命なのだ。
命は実に足が速い」
命の速さを考えたことがあるでしょうか?
平均寿命が、70年、80年と聞くと、
「まだまだ大丈夫」
とのんびり構えてしまいます。
しかし、私たちは、昨日から今日、今日から明日へと、
ものすごい速さで突っ走っています。
70年、80年と言っても、振り返れば「あっ」と言う間。
戦争体験された方の話を聞くと、
当時から今日まで、本当に「あっという間」であった、と語られます。
「あっ」と言っている間に、70年、80年が過ぎ去るのです。
4本の矢を捉えた男の足も速いですが、
私たちの命は、もっともっと速いのです。
そんな私たちの寿命をお釈迦様は、「細い藤蔓」に譬えておられます。
http://ameblo.jp/go-go-pyonta/entry-10634542367.html
無常の虎に断崖に追い詰められた旅人が、
木の根元から生えた藤蔓を発見し、
すがって下りた、と説かれています。
旅人が最後にしがみついたのが
この「藤蔓」でした。
私たちは、いつかは死なねばならない、と言いながら、
本心は、いつまでも生きておれる、と思っています。
自分が捕まっているものを太いワイヤーロープのように思っているのです。
その証拠に、「明日、自分が死ぬ」とは毛頭思えません。
「明日は死なない」と思う心は、
明日になっても「明日は死なない」と思う心です。
どこまでいっても「明日は死なない」と思っているわけですから、
結局「永遠に死なない」と本心は思っているわけです。
しかし、その誤りをお釈迦様は、
私たちの寿命を、いつ切れてもおかしくない
細い細い「藤蔓」と譬えられ、教えて下さっています。
「財産も名誉も一時の稲光り
あとに残るはユメのタメ息」
という歌があります。
“生ある者は必ず死に帰す”
と言われても、「死」と聞くと、
つい他人のことばかりを想起しがちです。
自分にも必ず訪れる一大事であることを、忘れてはいないでしょうか?
ここで有名な蓮如上人のお手紙、
『御文章』一帖目第十一通を紹介しましょう。
「それおもんみれば、
人間はただ電光朝露の夢・幻の間の楽しみぞかし。
たといまた栄華栄耀(えいがえいよう)に耽りて
思うさまの事なりというとも、
それはただ五十年乃至百年のうちの事なり」
人の一生は、電光(稲光り)のように瞬時に過ぎて行きます。
草の上に輝く朝露も、日が昇ると跡形もなく消え去るのです。
同じように人生は儚いものでありましょう。
どんな楽しみも、必ずさめる夢・幻にすぎません。
たとえ、天下をとり、栄耀栄華を極めても、
わずか50年か100年のうちのことではないでしょうか。
続けて蓮如上人は、このように書いておられます。
「もし只今も無常の風きたりて誘いなば、
いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや」
「無常」とは「死」のことです。
「風」は目には見えませんが、猛烈な勢いで襲って来て、
山林や人家さえもなぎ倒します。
病人ばかりが死ぬのではありません。
健康な人が、急に倒れる。交通事故にあう。
今晩、大地震が起きるかもしれません。
明日の命の保証は、どこにもないのです。
無常の風は容赦なく襲ってきます。
そして、蓮如上人は、
「まことに死せんときは、
かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば
唯一人こそ行きなんずれ」
とおっしゃっています。
臨終には、これまで必死になって手に入れ、守ってきた
妻や子供、財産もお金も、すべて置いて行かねばなりません。
生き甲斐にしてきたもの一切が光を失ってしまうのです。
死後への不安で、眼前が真っ暗になり、
これまでの人生は何だったのか、と悔やまずにおれなくなります。
孤独な魂に泣きながら後生へ旅立たねばならないのだ、と
古今東西変わらない人間のありさまを、蓮如上人は教えておられるのです。
さて、譬え話では、細い藤蔓にしがみついている旅人に、
さらに驚くべき危険が襲い掛かってきます。
なんと、今にも切れそうな、その藤蔓をかじるものがあったのです。
白と黒の2匹のネズミでした。
果たして、このネズミは何を譬えられたものでしょうか?
次回へ続きます。
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
時々、このような質問を受けることがあります。
「どうして仏教を伝えたいと思ったんですか?
他にもいろいろ宗教はあるのに」
それについては、
「人生の目的は、仏教にしか教えられていないからです」
と答えます。
人生の目的は、本当の幸福になることです。
人は、何が本当の幸せかわからず、
どれだけ科学や医学、政治、経済が発展しても、
苦しみ悩み続けています。
9月10日は、世界自殺予防デーです。
各地で、自殺予防の啓発活動が行われています。
国をあげて取り組まないといけないほど、
日本では、毎年多くの人が苦しみのあまり自殺しています。
これで12年連続、年間3万人超という数字です。
最近も、小学生、中学生の自殺が相次ぎました。
物質的には恵まれても、心はいつも満たされず、
苦しみ悩んでいます。
苦しくとも生きねばならぬ理由は何か。
その答えをハッキリと教えられたのがお釈迦様であり、
親鸞聖人です。
本当の人生の目的を知り、それを完成し、
「人間に生まれてよかった。
この幸せになるための人生だったのか」
と生命の大歓喜を味わうために生きているのだよ、と
どんなにつらくても生きねばならない理由を
お釈迦様、親鸞聖人は教えておられるのです。
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「そなたもこの頃では、
命の短く危ういことがだんだんうなずけて来たらしいな」
お釈迦様の言葉に修行者は答える。
「本当にそうでございます。たちまち消え失せてしまいます」
すると、お釈迦様は、このようにおっしゃる。
「たちまちといっても、その感じ方にいろいろあるが」
修行者は、
「ハイ、世尊(お釈迦様)がお感じなされているのは、
どれくらいの速さでございましょうか」
「その速さは、とてもそなたには納得できない速さだ」
「たとえば、どれほどの速さでしょうか」
修行者の問いに、お釈迦様は次のような例えで教えられました。
「ここに弓を射る名人が4人いるとする。
一人は東方に向き、一人は南方に向き、
一人は西方に、もう一人は北方に、
それぞれその向きの彼方に的を定めて
4人が心を合わせて一度に矢を放つ。
名人の放つ矢は目にもとまらぬ速さで飛ぶ。
そこに足の速い男がいて、サッと走り出したと見る間に
4人の弓師が一度に放った矢を引っ捕らえてしまったとする。
この男の足は速いだろう」
「それは速いです。とても速いです」
「それよりも、もっともっと速いのが人間の命なのだ。
命は実に足が速い」
命の速さを考えたことがあるでしょうか?
平均寿命が、70年、80年と聞くと、
「まだまだ大丈夫」
とのんびり構えてしまいます。
しかし、私たちは、昨日から今日、今日から明日へと、
ものすごい速さで突っ走っています。
70年、80年と言っても、振り返れば「あっ」と言う間。
戦争体験された方の話を聞くと、
当時から今日まで、本当に「あっという間」であった、と語られます。
「あっ」と言っている間に、70年、80年が過ぎ去るのです。
4本の矢を捉えた男の足も速いですが、
私たちの命は、もっともっと速いのです。
そんな私たちの寿命をお釈迦様は、「細い藤蔓」に譬えておられます。
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無常の虎に断崖に追い詰められた旅人が、
木の根元から生えた藤蔓を発見し、
すがって下りた、と説かれています。
旅人が最後にしがみついたのが
この「藤蔓」でした。
私たちは、いつかは死なねばならない、と言いながら、
本心は、いつまでも生きておれる、と思っています。
自分が捕まっているものを太いワイヤーロープのように思っているのです。
その証拠に、「明日、自分が死ぬ」とは毛頭思えません。
「明日は死なない」と思う心は、
明日になっても「明日は死なない」と思う心です。
どこまでいっても「明日は死なない」と思っているわけですから、
結局「永遠に死なない」と本心は思っているわけです。
しかし、その誤りをお釈迦様は、
私たちの寿命を、いつ切れてもおかしくない
細い細い「藤蔓」と譬えられ、教えて下さっています。
「財産も名誉も一時の稲光り
あとに残るはユメのタメ息」
という歌があります。
“生ある者は必ず死に帰す”
と言われても、「死」と聞くと、
つい他人のことばかりを想起しがちです。
自分にも必ず訪れる一大事であることを、忘れてはいないでしょうか?
ここで有名な蓮如上人のお手紙、
『御文章』一帖目第十一通を紹介しましょう。
「それおもんみれば、
人間はただ電光朝露の夢・幻の間の楽しみぞかし。
たといまた栄華栄耀(えいがえいよう)に耽りて
思うさまの事なりというとも、
それはただ五十年乃至百年のうちの事なり」
人の一生は、電光(稲光り)のように瞬時に過ぎて行きます。
草の上に輝く朝露も、日が昇ると跡形もなく消え去るのです。
同じように人生は儚いものでありましょう。
どんな楽しみも、必ずさめる夢・幻にすぎません。
たとえ、天下をとり、栄耀栄華を極めても、
わずか50年か100年のうちのことではないでしょうか。
続けて蓮如上人は、このように書いておられます。
「もし只今も無常の風きたりて誘いなば、
いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや」
「無常」とは「死」のことです。
「風」は目には見えませんが、猛烈な勢いで襲って来て、
山林や人家さえもなぎ倒します。
病人ばかりが死ぬのではありません。
健康な人が、急に倒れる。交通事故にあう。
今晩、大地震が起きるかもしれません。
明日の命の保証は、どこにもないのです。
無常の風は容赦なく襲ってきます。
そして、蓮如上人は、
「まことに死せんときは、
かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば
唯一人こそ行きなんずれ」
とおっしゃっています。
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妻や子供、財産もお金も、すべて置いて行かねばなりません。
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孤独な魂に泣きながら後生へ旅立たねばならないのだ、と
古今東西変わらない人間のありさまを、蓮如上人は教えておられるのです。
さて、譬え話では、細い藤蔓にしがみついている旅人に、
さらに驚くべき危険が襲い掛かってきます。
なんと、今にも切れそうな、その藤蔓をかじるものがあったのです。
白と黒の2匹のネズミでした。
果たして、このネズミは何を譬えられたものでしょうか?
次回へ続きます。
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「どうして仏教を伝えたいと思ったんですか?
他にもいろいろ宗教はあるのに」
それについては、
「人生の目的は、仏教にしか教えられていないからです」
と答えます。
人生の目的は、本当の幸福になることです。
人は、何が本当の幸せかわからず、
どれだけ科学や医学、政治、経済が発展しても、
苦しみ悩み続けています。
9月10日は、世界自殺予防デーです。
各地で、自殺予防の啓発活動が行われています。
国をあげて取り組まないといけないほど、
日本では、毎年多くの人が苦しみのあまり自殺しています。
これで12年連続、年間3万人超という数字です。
最近も、小学生、中学生の自殺が相次ぎました。
物質的には恵まれても、心はいつも満たされず、
苦しみ悩んでいます。
苦しくとも生きねばならぬ理由は何か。
その答えをハッキリと教えられたのがお釈迦様であり、
親鸞聖人です。
本当の人生の目的を知り、それを完成し、
「人間に生まれてよかった。
この幸せになるための人生だったのか」
と生命の大歓喜を味わうために生きているのだよ、と
どんなにつらくても生きねばならない理由を
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