まずは、これをお読み下さい。


…◆……◆……◆…


《武蔵野市 女性67歳》

私の夫は忽然と世を去った。死因は急性心不全である。

享年63。

まだ充分に社会に貢献できる年であった。

その日の朝、喜々として愛車の手入れに余念のなかった身が、

同夜11時半、霊安室に線香の煙る中で

冷めたい躯(むくろ)となり果てていたのである。


それからの数カ月、私の身辺に起きた喧騒については、

もはや記憶も定かではない。

気がつくと秋の夕暮れであった。

私は夫の好物のけんちん汁を作っていた。

人参を刻もうとして、はたと、

「あの人はもう帰らない」

と気がついた。

窓から吹き込むほど良い冷気を含んだ風、

隣家の居間から漏れる暖かな光の道を小走りにたどる家路への足音。

これらのすべてが、突然私の心に鋭い矢のように突き刺さった。

「私はたった一人だ」。

それは世にも恐ろしい思いであった。

暗闇の中で、出口のない道をめぐり回っているようである。

道行く人、お隣りの家族、行きつけの商店の小父さん、

そのだれもが振り向いてもくれないのではないか。

だれからも相手にされない、と私は勝手に感じると、

私自身も周囲の環境に関心が無くなった。

朝目が醒めても顔を洗う気がしない。

食事も欲しくない。

電話にも出ない。

人が来ても口もきかない。

はじめは心配して訪ねてくれた知人たちも

私の異常な態度に呆れて、次第に寄りつかなくなって行った。

「夫さえいてくれれば」。

私は、一寸した物音や、風のざわめきなどに無き人の面影を求めた。

そして落胆し、再び同じことをくり返すのであった。


…◆……◆……◆…


これは、作家・平岩弓枝さんの編集した『伴侶の死』からの引用です。


核家族化が進んで、親と子ども夫婦が別々に暮らすのも

当たり前の社会になりました。


伴侶を失えば、「一人」。


そして家族、地域のつながりが薄れ、だれにもみとられず、

何日も気づかれずにいる孤立死が増えています。


「孤独」は、高齢者だけの問題ではありません。


私たちの日常でも「孤独」になる機会が増えていると感じませんか?


社会人の約半数は、同居人がいても1人で朝食を取るなど、

若い世代で“孤食”傾向が強くなっている、

というデータもあります。


テレビや携帯、パソコンやテレビゲームなど、

画面に向かっている時間が圧倒的に増えました。

それによって、面と向かったコミュニケーションが

格段に減ったと感じます。


現代人は、「孤独」を好むのでしょうか?


いえ、決してそうではありません。


テレビを観たり、

携帯やパソコン、テレビゲームに熱中するのも、

孤独感・寂しさを紛らわすためのものです。


コミュニケーションを嫌い、人に会いたがらないのも、

心がすれ違い、理解しあえない寂しさ、苦しさを

事前に回避してのことかもしれません。


“ウサギは寂しいと死んでしまう”といわれますが、

耐えがたい孤独に取り残された時、

ウサギだけでなく、私たちも生きる力を失います。


名作として知られる映画「ショーシャンクの空に」の中に、

こんな場面があります。


終身刑で50年以上服役していた老人が、

70歳を過ぎて、釈放されました。

鉄格子の扉から外の世界へ解放された老人は、

どの町に行くのも、どの店に入るのも自由。

だれに監視されることもありません。

しかも、社会復帰を援助するため、

スーパーでの仕事や、アパートも、国から保証されていました。

にもかかわらず老人は、数日後、

アパートの天井からロープをつるし、自ら命を絶ったのです。

服役中は話をする仲間もあり、必要としてくれる人がありました。

しかし、壁の外では、家族も友達もいない、独りぼっちだったのです。

自由が手に入っても、孤独の寂しさを乗り越える力にはならないのでしょう。


お釈迦さまは、経典に、


 独生独死(どくしょうどくし)

 独去独来(どっこどくらい)


と説かれています。


人は生まれた時が独りならば、死んでいく時も独り。

生きている間も独りぼっちです。


親や兄弟、友達や恋人など、肉体の連れはあっても、

心はいつも、寂しい、寂しいと震えているのです。


東京砂漠ともいわれるように、大勢に囲まれるほどむしろ、

人は分かり合えず、孤独を感じるものなのかもしれません。

大学のコンパや会社の飲み会で、周りが盛り上がるほど、

なぜか、自分だけ居場所がないと感じた経験はないでしょうか?

親友や恋人を求めるのも、皆、本当の自分を分かってほしい

と思っているからでしょう。

心の奥底まで理解してほしいと思っています。

自分の本当の理解者を求めて、私たちは生きていると言っても

決して言いすぎではありません。


すべてを理解されたら、私たちは救われます。

しかし、そのような人は果たしてあるでしょうか。

自分が、他人を完全に理解することができないように、

私のすべてを理解してくれる人もないのです。


皆、心の中に、だれにも言えない秘密を持っているからです。

私たちは心のすべてを、だれかに打ち明けることができるでしょうか?

これだけは人に言えないという秘密があるでしょう。

親兄弟にも恋人にも言えない。

60数億の人があっても、だれにも打ち明けられない秘密です。


この人になら何でも言えるというのは、その程度までは言えるということです。

自分にさえ、気づいていない秘密があるのですから。


この底知れない人生の寂しさを、

お釈迦様は譬え話で「秋の夕暮れ」と譬えられたのです。



━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━


相対性理論で有名なアインシュタインは、


「現代科学に欠けているものを

 埋め合わせてくれるものがあるとすれば、

 それは仏教です」


と言っています。そして、次のように分析しています。


「宗教に3段階ある。

 1つは、恐れの宗教。

 日照りが続いたりするのは森の神、山の神が

 怒っているから、生け贄を捧げよう、というもの。

 これが一番原始的。(日本の八百万の神など)
 

 2つ目は倫理的宗教。この世を支配する人間のような

 神がいるというもの。(キリスト教の神など)
 

 3つ目はごくわずかに、宇宙的宗教というものがある。

 これには神というのは一切出てこない。

 最も宇宙的宗教というのが強い、最も進んだ宗教が仏教だ」


確かに、仏教は、天地自然の神、

万物の創造主たる神の存在は認めません。


アインシュタインも、仏教を勉強していたのですね。

ちょっとビックリです☆

(*^-^)



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