こんばんは。
一日、お疲れ様でした。
以前、北陸の新聞で、こんな記事がありました。
…◆……◆……◆…
寺の施設改修などは、檀家が寄付で支えてきたが、
少子高齢化で、寺を支える檀家の数は減る一方。
工事費用を工面するのに苦悩するケースも多い。
寺の費用負担は、どうすればいいのか?
…◆……◆……◆…
という問題提起。
そこに檀家の苦悩が紹介されていました。
…◆……◆……◆…
「昨年12月、寺の修復工事への寄付を要請する手紙が届いたが、
年金生活で、そんな余裕はない」
ある檀家の60代の男性が悩みをこう打ち明けた。
手紙では本堂、庫裡(くり)、山門の屋根などの修理費が
約1億3000万円と見積もられ、一軒当たり30万円以上を、
2011年3月末までに寄付することを要請していた。
…◆……◆……◆…
「これでは、まるで税金と同じで、仏法精神にあわない」
と率直に思いました。
そもそも、何のために寺は必要なのか?
この原点を確認しないといけないでしょう。
お墓を守るため?
葬式や法事をして亡くなった方を供養するため?
いえいえ、そうではありません。
仏教には本来、墓を作る教えはありません。
お釈迦さまは、死者のために仏事を行われたことは、
一度もないのです。
むしろ、そのような世俗的、形式的な儀礼を避けて、
生きている人に、人生の目的を教えられたのが仏教です。
あの親鸞聖人も、
「親鸞は亡き父母を喜ばせるために、
念仏を称えたり読経や法要、
その他一切の仏事をしたことは、一度とてない」
と有名な『歎異抄』にあります。
葬式や法事、墓番が僧侶の仕事でないことは歴然です。
では、いったい何が僧侶の本当の仕事なのでしょうか?
それは、お釈迦さま、親鸞聖人の教えを正しく伝え、
人々を本当の幸福に導くこと以外にありません。
本来、僧侶の生活とは、仏法を伝えること(法施)による
財施のみでまかなわれるものです。
もし寺院という場所が、
私をこの世から未来永遠の幸福に救う仏の教えを聞き、
その教えを人にも伝える聞法道場になっているならば、
「どれだけ布施しても惜しくはない」
という気持ちの人があって当然でしょう。
お釈迦さまの時代に、こんなことがありました。
お釈迦さまの教えに感激した、給孤独(ぎっこどく)長者
という富豪がありました。
ぜひ、自分の国にも仏法を広めたいと思い、
精舎(しょうじゃ:寺院)を建立し
お釈迦さまに寄進する土地を探していたのです。
国中探し回った末、格好の場所を発見しましたが、
そこは祇陀(ぎだ)太子の所有地。
譲ってほしいと頭を下げる長者に、
祇陀太子は断念させようと無理難題を吹っかけてきたのです。
「欲しい土地の分だけ黄金を敷き詰めよ。
その分の土地だけ黄金と引き換えてやろう」
ところが長者は大喜びで、早速、土地に金貨を敷き始めました。
みるみる黄金色に染まっていく土地に驚いた祇陀太子は、
「長者よ、待ってほしい。
あなたはなぜそこまでして、この土地が欲しいのですか?」
と問いただした。
「太子よ、それはお釈迦さまに布施したいからです。
お釈迦さまが仏のさとりを開かれ、万人の救われる教えを
今、説いておられます。
金や財は一時の宝。
やがては色あせ滅んでいく。
しかし真実の法は、永久に輝く不滅の宝です。
私は、この国に仏法を伝えたいのです」
太子の心は大きく動いた。
「ああ、あなたがそれほど尊敬されるお釈迦さまとは、
どんな尊い偉大な方でしょうか。
金貨はもう結構です。残りの土地も樹木もお譲りします。
私にも布施をさせていただきたい」
このようにして落成した壮大な建物が、
有名な祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)です。
ここで説かれた教えが、後々どれほど多くの人々を
本当の幸福に導いたことでしょう。
税金は、国から請求がきて、出させられるものですが、
布施は強制的なものとは全く違います。
心から提供するものですから、お布施(ダンバラミツ)ともいわれます。
「善因善果、悪因悪果、自因自果」の因果の道理は
いつでもどこでも変わらない真理です。
農家の人が田んぼに種をまくのを見て、
「あいつは馬鹿だなあ、あんなところに種を捨てて」
と思う人はありません。
やがて芽が出て成長し実を結んだ秋の収穫は、
すべて農家のものになるからです。
欲深い私たちは、金でも物でも、
与えるとつい損をしたように思いますが、逆だと教えられます。
カボチャの種からナスビの芽が出たためしはありません。
まかぬ種は生えませんが、まいた種は必ず生えます。
布施の功徳は、幸せとなって必ず布施した本人に現れるのです。
種をまけば、できるものはほかの誰でもない、自分のものです。
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
日本テレビアナウンサーの山本真純さんが、自ら命を絶った
ニュース、非常に残念な思いで見ていました。
34歳で、私より1歳年下。
最近、30代の自殺、うつ、引きこもりが多く、
同世代として、大変心にかかります。
それにしても、暑い毎日です。
暑いと食欲が出ないですよね。
そんな時は、サッパリしたものがオイシイです。
近ごろ、よく食べるのは、サーモンマリネ。
近くのお惣菜屋さんで、お昼に買って食べてます。
お寿司のネタなみに大きなサーモンが入ってて、お気に入りです。
夏バテしないようにお互い気をつけましょうね☆
(*^-^)
*今回のひまわり日記 はいかがでしたか?
「へぇ!」「なるほど!」「勉強になった」
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一日、お疲れ様でした。
以前、北陸の新聞で、こんな記事がありました。
…◆……◆……◆…
寺の施設改修などは、檀家が寄付で支えてきたが、
少子高齢化で、寺を支える檀家の数は減る一方。
工事費用を工面するのに苦悩するケースも多い。
寺の費用負担は、どうすればいいのか?
…◆……◆……◆…
という問題提起。
そこに檀家の苦悩が紹介されていました。
…◆……◆……◆…
「昨年12月、寺の修復工事への寄付を要請する手紙が届いたが、
年金生活で、そんな余裕はない」
ある檀家の60代の男性が悩みをこう打ち明けた。
手紙では本堂、庫裡(くり)、山門の屋根などの修理費が
約1億3000万円と見積もられ、一軒当たり30万円以上を、
2011年3月末までに寄付することを要請していた。
…◆……◆……◆…
「これでは、まるで税金と同じで、仏法精神にあわない」
と率直に思いました。
そもそも、何のために寺は必要なのか?
この原点を確認しないといけないでしょう。
お墓を守るため?
葬式や法事をして亡くなった方を供養するため?
いえいえ、そうではありません。
仏教には本来、墓を作る教えはありません。
お釈迦さまは、死者のために仏事を行われたことは、
一度もないのです。
むしろ、そのような世俗的、形式的な儀礼を避けて、
生きている人に、人生の目的を教えられたのが仏教です。
あの親鸞聖人も、
「親鸞は亡き父母を喜ばせるために、
念仏を称えたり読経や法要、
その他一切の仏事をしたことは、一度とてない」
と有名な『歎異抄』にあります。
葬式や法事、墓番が僧侶の仕事でないことは歴然です。
では、いったい何が僧侶の本当の仕事なのでしょうか?
それは、お釈迦さま、親鸞聖人の教えを正しく伝え、
人々を本当の幸福に導くこと以外にありません。
本来、僧侶の生活とは、仏法を伝えること(法施)による
財施のみでまかなわれるものです。
もし寺院という場所が、
私をこの世から未来永遠の幸福に救う仏の教えを聞き、
その教えを人にも伝える聞法道場になっているならば、
「どれだけ布施しても惜しくはない」
という気持ちの人があって当然でしょう。
お釈迦さまの時代に、こんなことがありました。
お釈迦さまの教えに感激した、給孤独(ぎっこどく)長者
という富豪がありました。
ぜひ、自分の国にも仏法を広めたいと思い、
精舎(しょうじゃ:寺院)を建立し
お釈迦さまに寄進する土地を探していたのです。
国中探し回った末、格好の場所を発見しましたが、
そこは祇陀(ぎだ)太子の所有地。
譲ってほしいと頭を下げる長者に、
祇陀太子は断念させようと無理難題を吹っかけてきたのです。
「欲しい土地の分だけ黄金を敷き詰めよ。
その分の土地だけ黄金と引き換えてやろう」
ところが長者は大喜びで、早速、土地に金貨を敷き始めました。
みるみる黄金色に染まっていく土地に驚いた祇陀太子は、
「長者よ、待ってほしい。
あなたはなぜそこまでして、この土地が欲しいのですか?」
と問いただした。
「太子よ、それはお釈迦さまに布施したいからです。
お釈迦さまが仏のさとりを開かれ、万人の救われる教えを
今、説いておられます。
金や財は一時の宝。
やがては色あせ滅んでいく。
しかし真実の法は、永久に輝く不滅の宝です。
私は、この国に仏法を伝えたいのです」
太子の心は大きく動いた。
「ああ、あなたがそれほど尊敬されるお釈迦さまとは、
どんな尊い偉大な方でしょうか。
金貨はもう結構です。残りの土地も樹木もお譲りします。
私にも布施をさせていただきたい」
このようにして落成した壮大な建物が、
有名な祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)です。
ここで説かれた教えが、後々どれほど多くの人々を
本当の幸福に導いたことでしょう。
税金は、国から請求がきて、出させられるものですが、
布施は強制的なものとは全く違います。
心から提供するものですから、お布施(ダンバラミツ)ともいわれます。
「善因善果、悪因悪果、自因自果」の因果の道理は
いつでもどこでも変わらない真理です。
農家の人が田んぼに種をまくのを見て、
「あいつは馬鹿だなあ、あんなところに種を捨てて」
と思う人はありません。
やがて芽が出て成長し実を結んだ秋の収穫は、
すべて農家のものになるからです。
欲深い私たちは、金でも物でも、
与えるとつい損をしたように思いますが、逆だと教えられます。
カボチャの種からナスビの芽が出たためしはありません。
まかぬ種は生えませんが、まいた種は必ず生えます。
布施の功徳は、幸せとなって必ず布施した本人に現れるのです。
種をまけば、できるものはほかの誰でもない、自分のものです。
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日本テレビアナウンサーの山本真純さんが、自ら命を絶った
ニュース、非常に残念な思いで見ていました。
34歳で、私より1歳年下。
最近、30代の自殺、うつ、引きこもりが多く、
同世代として、大変心にかかります。
それにしても、暑い毎日です。
暑いと食欲が出ないですよね。
そんな時は、サッパリしたものがオイシイです。
近ごろ、よく食べるのは、サーモンマリネ。
近くのお惣菜屋さんで、お昼に買って食べてます。
お寿司のネタなみに大きなサーモンが入ってて、お気に入りです。
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