「和顔愛語(わげんあいご)」について、

心に残る話を一つ紹介しましょう。

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ジョン・ワナメーカー氏は、デパート王といわれる。

店員募集の広告を見て、一人の青年がやってきた。

自ら面接したワナメーカーの質問に彼は、

「イエス・ノー」

と、適切に即答して少しの誤りもなかった。

体格も立派だし、学力も十分。

同席者は採用を確信して疑わなかった。

ところがどうしてか、不合格になったのだ。

「大層、良い青年のようでしたが、

 どこかお気に召さないところがありましたか」

側近の不審にワナメーカーは、こう言っている。

「あの青年は私の質問に、『イエス・ノー』と、

 ぶっきら棒に言うばかりで

 『イエス・サー、ノー・サー』(敬称)と、

 丁寧な物言いをしなかった。

 あんな風ではきっと、お客に親切を欠くことがあるに

 違いない。親切第一がモットーの私の店には、

 雇うわけにはゆかないのだよ」

たったの一言が、如何に大切か。

「社長が愉快げに“お早う”と挨拶されると、

 一週間は楽しく働ける」

こう言ってワナメーカー氏の店員達は、嬉々として働き、

店は栄えに栄えたという。

なにが社会奉仕といっても、

にこやかな笑顔と明るい挨拶ほど、

世の中を楽しくするものはない。

彼は街頭をゆく楽隊のように、四方に光明をバラ撒く。

笑顔と挨拶を出し惜しむ者ほどの、

ドケチはないといってよかろう。

ちょっと目元の筋肉を動かし、わずか一・二言を話すだけで、

人に幸福を与えることができるのに、

それすらもケチるからである。

シドニー・スミスは、面白いことを言っている。

「少なくとも一日に一人を喜ばせよ。

 十年すれば三千六百五十人を喜ばせることになる。

 一町村あげて喜ばせる、寄附金をだしたのと同様だ」

まさに釈尊の和顔愛語の布施行である。

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あらためて「笑顔」の素晴らしさを知らされます。

人を幸福にするのに、

一番簡単で、一番間違いないものかも知れません。

(*^-^)


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