仏教は、「後生の一大事」を知るところから始まり、
「後生の一大事」の解決で終わります。
ですから、
「後生の一大事」とはどんなことかを知らなければ、
仏法は何十年聞いても分かるものではありません。
「後生の一大事」について、お話しいたしましょう。
「後生」とは、一息切れたら後生です。
仏教と聞くと、
「年を取ってから聞けばいいもの」
「若いからまだ聞く必要がない」
と言う人があります。
後生は遠い先のことで、自分とは関係の無いことだと思っているのでしょう。
しかし、この世は「火宅無常の世界」(歎異抄)、
いつ何が起きるか分かりません。
「まさか」は突然やってきます。
『THE YEAR OF MAGICAL THINKING』は、
アメリカでベストセラーになったノンフィクションです。
そこには、最愛の夫を突然亡くした
著者J・ディディオンの生々しい描写があります。
2003年12月30日の夜。
それはいつもと変わらぬ、ありふれた一日の終わりに起きた出来事でした。
夫は、スコッチをチビチビやりながら、私と会話していた。
ふと顔を上げると、彼は左手を宙に上げ、ぐったりと動かなくなった。
何かの冗談だと思った私は、
「やめてよ」
と言った。
しかし、夫が返事をすることは、二度となかった。
「人生は急激に変化する。
人生は一瞬に変化する。
夕食の席に着いたと思ったら、命は終わる」
いつどうなるかわからない現実に、
J・ディディオンは、こう書かずにはおれなかったのです。
肉親を、事故や病気で失った遺族が、
事実をすぐに受け入れられないのは、
無常があまりにも突然だからでしょう。
J・ディディオンにとっても、大事件が平凡な日常に起きたことが衝撃的でした。
「夫の死の直前まで、
何もかもがいつもと同じだったために、
夫の死が実際に起こったのだと信じることができず、
それがために、受け入れることも、
乗り越えることもできなかった」
と書いています。
無常はいつも突然です。
痛ましいどんな事故も、
「ありふれた日常」の中で、ふいに起こるのです。
心臓マヒや脳梗塞、事故や震災など、
何かのことで吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
吸う息吐く息と触れ合っているのが、後生なのです。
いくら平均寿命が延びたといっても、
死ななくなったのではありません。
100パーセントぶち当たらねばならぬのが、後生です。
だから後生と関係の無い人は、一人もいないのです。
お釈迦さまは、人は生まれた時から、
一人に一頭、背後に飢えた虎を連れていると教えられています。
突然、ガブリとやられる時が来るのです。
「だれでもよかった」という通り魔殺人事件や、
飲酒運転の悲惨な事故に、一時は驚いても、
いつの間にか私たちは聞き流しています。
背後にいる空腹の大虎が牙をむいていることを忘れているのです。
次に「一大事」とは、どんなことをいわれるのでしょうか。
仏教に、こんな話が伝えられています。
◇ ◇ ◇
お釈迦さまが、托鉢の道中でのことである。
大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘がたもとへ石を入れている。
自殺の準備に違いない。
娘のそばまで行かれたお釈迦さまは、
優しくその訳を尋ねられた。
相手がお釈迦さまと分かった娘は、
心を開いて苦しみのすべてを打ち明けた。
「お恥ずかしいことですが、
私はある人を愛しましたが、
捨てられてしまいました。
世間の目は冷たく、
やがて生まれてくるおなかの子供の将来などを考えますと、
いっそ死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。
こんな私を哀れに思われましたら、
どうかこのまま死なせてくださいませ」
と、よよと泣き崩れた。
お釈迦さまは哀れに思われ、こう諭された。
「不憫なそなたには、例えをもって話そう。
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、
朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、
一体自分を苦しめているものは何なのか』
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。
この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。
この車を壊そう』
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って
大きな石に車を打ち当て、
木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
こんな乱暴な牛には、
余程頑丈な車でなければ、また壊される。
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。
それは今までの車の何十倍の重さであった。
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、
以前の何百倍も苦しむようになった牛は、
今更壊すこともできず、深く後悔したが、
後の祭りであった。
牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、
この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば、
苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、
死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ
入っていかねばならないのだよ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、
大きくて深い苦しみである。
そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」
◇ ◇ ◇
この話は、
すべての人に、
死ねば取り返しのつかない一大事のあることを、
お釈迦さまが教えられたものです。
これを「後生の一大事」といわれます。
この「後生の一大事」を解決することこそが、
仏教を聞く目的なのです。
>> この世の自業苦(じごく)
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
「自殺は、どうしていけないの?」
自殺しようとする人を止めれば、
こう聞き返されるに違いありません。
自殺する人の多くが
「死んだら楽になれる」
と思っているとすれば、それはとんでもないことだと
お釈迦さまは先の譬え話で言われているのです。
楽になれるどころか、
この世と比較にならない苦しみの世界へ
自ら飛び込んでいくのですから、
こんな愚かなことはありません。
「死んだらどうなるか?」
すべての人にとって、これ以上大きな問題はないでしょう。
お金をいくら儲けたか?
どんな家に住んでいるか?
どれだけ出世したか?
……
これらのことは、いよいよこの世を去るとなったときは、
何の明かりにもなりません。
「死は、まだまだ先のこと」
と思って、この問題から目をそらそうとしても、
必ず向き合うときがきます。
でも、いざ臨終となってからでは手遅れです。
「いやなことを言う人だな」
と思うかもしれません。
夏休みの宿題をやらずにいる子供に
「宿題、ちゃんとやったの?
今、やっておかないと後できっと後悔するよ」
と忠告すれば嫌がられると知っていても、
なお子供に宿題をやるように促すのは、
目に見えた結果を親は案じるからでしょう。
後生の一大事は、宿題をやるかやらないかどころの問題ではありません。
後生の一大事を知らず、
その解決を果たさぬまま臨終を迎えたならば、
必ず後悔することをお釈迦さまはよくよくご存知だから、
七千巻以上ものお経を説かれ、後生の一大事のあることと
その解決の道を教えていかれたのです。
日本で活躍された親鸞聖人もまた、後生の一大事のあることと
その解決の道を、90年のご生涯、教え続けていかれました。
続けて学んでいきましょう。
「後生の一大事」の解決で終わります。
ですから、
「後生の一大事」とはどんなことかを知らなければ、
仏法は何十年聞いても分かるものではありません。
「後生の一大事」について、お話しいたしましょう。
「後生」とは、一息切れたら後生です。
仏教と聞くと、
「年を取ってから聞けばいいもの」
「若いからまだ聞く必要がない」
と言う人があります。
後生は遠い先のことで、自分とは関係の無いことだと思っているのでしょう。
しかし、この世は「火宅無常の世界」(歎異抄)、
いつ何が起きるか分かりません。
「まさか」は突然やってきます。
『THE YEAR OF MAGICAL THINKING』は、
アメリカでベストセラーになったノンフィクションです。
そこには、最愛の夫を突然亡くした
著者J・ディディオンの生々しい描写があります。
2003年12月30日の夜。
それはいつもと変わらぬ、ありふれた一日の終わりに起きた出来事でした。
夫は、スコッチをチビチビやりながら、私と会話していた。
ふと顔を上げると、彼は左手を宙に上げ、ぐったりと動かなくなった。
何かの冗談だと思った私は、
「やめてよ」
と言った。
しかし、夫が返事をすることは、二度となかった。
「人生は急激に変化する。
人生は一瞬に変化する。
夕食の席に着いたと思ったら、命は終わる」
いつどうなるかわからない現実に、
J・ディディオンは、こう書かずにはおれなかったのです。
肉親を、事故や病気で失った遺族が、
事実をすぐに受け入れられないのは、
無常があまりにも突然だからでしょう。
J・ディディオンにとっても、大事件が平凡な日常に起きたことが衝撃的でした。
「夫の死の直前まで、
何もかもがいつもと同じだったために、
夫の死が実際に起こったのだと信じることができず、
それがために、受け入れることも、
乗り越えることもできなかった」
と書いています。
無常はいつも突然です。
痛ましいどんな事故も、
「ありふれた日常」の中で、ふいに起こるのです。
心臓マヒや脳梗塞、事故や震災など、
何かのことで吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
吸う息吐く息と触れ合っているのが、後生なのです。
いくら平均寿命が延びたといっても、
死ななくなったのではありません。
100パーセントぶち当たらねばならぬのが、後生です。
だから後生と関係の無い人は、一人もいないのです。
お釈迦さまは、人は生まれた時から、
一人に一頭、背後に飢えた虎を連れていると教えられています。
突然、ガブリとやられる時が来るのです。
「だれでもよかった」という通り魔殺人事件や、
飲酒運転の悲惨な事故に、一時は驚いても、
いつの間にか私たちは聞き流しています。
背後にいる空腹の大虎が牙をむいていることを忘れているのです。
次に「一大事」とは、どんなことをいわれるのでしょうか。
仏教に、こんな話が伝えられています。
◇ ◇ ◇
お釈迦さまが、托鉢の道中でのことである。
大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘がたもとへ石を入れている。
自殺の準備に違いない。
娘のそばまで行かれたお釈迦さまは、
優しくその訳を尋ねられた。
相手がお釈迦さまと分かった娘は、
心を開いて苦しみのすべてを打ち明けた。

「お恥ずかしいことですが、
私はある人を愛しましたが、
捨てられてしまいました。
世間の目は冷たく、
やがて生まれてくるおなかの子供の将来などを考えますと、
いっそ死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。
こんな私を哀れに思われましたら、
どうかこのまま死なせてくださいませ」
と、よよと泣き崩れた。
お釈迦さまは哀れに思われ、こう諭された。
「不憫なそなたには、例えをもって話そう。
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、
朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。

つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、
一体自分を苦しめているものは何なのか』
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。
この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。
この車を壊そう』
牛はそう決意した。

ある日、猛然と走って
大きな石に車を打ち当て、
木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
こんな乱暴な牛には、
余程頑丈な車でなければ、また壊される。
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。
それは今までの車の何十倍の重さであった。

その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、
以前の何百倍も苦しむようになった牛は、
今更壊すこともできず、深く後悔したが、
後の祭りであった。

牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、
この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば、
苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、
死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ
入っていかねばならないのだよ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、
大きくて深い苦しみである。
そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」
◇ ◇ ◇
この話は、
すべての人に、
死ねば取り返しのつかない一大事のあることを、
お釈迦さまが教えられたものです。
これを「後生の一大事」といわれます。
この「後生の一大事」を解決することこそが、
仏教を聞く目的なのです。
>> この世の自業苦(じごく)
━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━
「自殺は、どうしていけないの?」
自殺しようとする人を止めれば、
こう聞き返されるに違いありません。
自殺する人の多くが
「死んだら楽になれる」
と思っているとすれば、それはとんでもないことだと
お釈迦さまは先の譬え話で言われているのです。
楽になれるどころか、
この世と比較にならない苦しみの世界へ
自ら飛び込んでいくのですから、
こんな愚かなことはありません。
「死んだらどうなるか?」
すべての人にとって、これ以上大きな問題はないでしょう。
お金をいくら儲けたか?
どんな家に住んでいるか?
どれだけ出世したか?
……
これらのことは、いよいよこの世を去るとなったときは、
何の明かりにもなりません。
「死は、まだまだ先のこと」
と思って、この問題から目をそらそうとしても、
必ず向き合うときがきます。
でも、いざ臨終となってからでは手遅れです。
「いやなことを言う人だな」
と思うかもしれません。
夏休みの宿題をやらずにいる子供に
「宿題、ちゃんとやったの?
今、やっておかないと後できっと後悔するよ」
と忠告すれば嫌がられると知っていても、
なお子供に宿題をやるように促すのは、
目に見えた結果を親は案じるからでしょう。
後生の一大事は、宿題をやるかやらないかどころの問題ではありません。
後生の一大事を知らず、
その解決を果たさぬまま臨終を迎えたならば、
必ず後悔することをお釈迦さまはよくよくご存知だから、
七千巻以上ものお経を説かれ、後生の一大事のあることと
その解決の道を教えていかれたのです。
日本で活躍された親鸞聖人もまた、後生の一大事のあることと
その解決の道を、90年のご生涯、教え続けていかれました。
続けて学んでいきましょう。
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