「人生」
と聞くと、何か小難しい感じがして、面倒くさいと思う人もあるでしょう。
「そんなことを考えたって暗くなるだけ」
とどこからか、そんな声さえ聞こえてきます。
どうも人生を考えることは、敬遠されがちな気がします。
でも、あの芥川龍之介はこう語っています。
「人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのは莫迦莫迦しい。
重大に扱わなければ危険である」
(『侏儒(しゅじゅ)の言葉』)
どこにでもあるマッチ箱を、重大に扱うのはばかばかしい。
しかし“マッチ一本火事の元”。
確かに重大に扱わなければ危険です。
自分の人生ほど重大なことはないのに、
ある人は目を背け、ある人は腫れ物にでも触るようにしているのは、
どうしたわけでしょう?
明るいことを考えれば明るくなる。
暗いことを考えれば暗くなります。
人生を考えるとイヤーな気持ちになるとしたら、
その人生に、何かイヤーなものがあるということではないでしょうか?
ならば、どうして放っておけるでしょう。
お釈迦さまは、私たちを本当の幸福へと教え導いてくださっています。
だからこそ、真実から目をそらさず、
勇気を出して、自らの人生と真正面から向き合うことが大切です。
仏教を説かれたお釈迦さまは、『仏説譬喩経』の中で、
有名な譬えを用いて、人間の本当の姿を教えておられます。
譬え話の解説を続けたいと思います。
※例え話はこちら→「人間の実相の譬え話」
※例え話を動画でご覧になることができます。
「虎」に譬えられたものとは、一体、何なのでしょう?
獰猛な虎に例えられたのは、
「自分の死」であり、追いかけてくるのは、
無常の風の激しさを表しています。
「死んだら死んだ時さ。死なんて怖くないよ」
と言う人も、健康診断で再検査を通告されると、急に元気がなくなります。
結局それは、死が怖いからに違いありません。
人間には5つの願いがあるといわれます。
一、いつも三月、花のころ。
二、おまえ十八、わしゃ二十歳。
三、死なぬ子三人、皆、孝行。
四、使って減らぬ金百万円。
五、死んでも命のあるように。
この中で、どれか一つと言われれば、やはり5番目の
「死んでも命のあるように」
を選ぶのではないでしょうか?
命あっての物種で、絶対に「死にたくない」のが人間なのです。
ところが作家、ヴィクトール・ユゴーは、
「人間は不定の執行猶予期間のついた死刑囚だ」
と言っています。
すべての人間の悲劇は
遅かれ早かれ死なねばならないところにあります。
「上は大聖釈迦牟尼世尊より始めて、
下は悪逆の提婆に至るまで、のがれ難きは無常なり」
で、世の一切の有情はこの猛虎のために白骨に化したのです。
西洋のある哲人は、こう言っています。
「生きるということは、
死が何時も妨げられていることであり、
死の猶予に外ならぬ。
我々の呼吸は、死との不断の戦いであり、
しかも必ず終いには敗けると定まっている戦いなのだ。
我々は生まれた時からすでに死の掌中にあるが、
死は、その餌食を呑みこむ前に暫く、それを弄ぶのだ。
かくて我々が少しでも長命しようと、
非常に配慮し、気遣うのは、
あたかもシャボン玉を吹いて
終には破滅するに間違いないことを知りながら、
それを出来るだけ大きく、長い間ふくらまそうとするに等しい。
かくの如きの悪戦苦闘の中で、
彼らが堪えてゆくのは、
生を愛するよりもむしろ死を忘れるにある。
然るに、死は何時もその背後に
離れず時々刻々に迫っている。
暗礁と渦巻に満ちた大海で
人間はあらゆる手段と尽力でそれを切り抜けても、
死という最大の危機、根底からの破滅はさけられない。
取りかえしのつかない破船に近づきつつあるのを知りながら、
その方に向かって舵を取っているのだ」
誠に恐ろしいことではないでしょうか。
ですが、真剣にそうだとは思わない心が、もっと恐ろしいのです。
(つづく)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
最近、かなり忙しい状況が続いて、なかなか更新できていませんでした。
ご心配をおかけしてすみません。
12月に入りましたね。
今年も、あと1ヶ月です。
暖冬と言いながら、早速、足がしもやけになりました。
毎年恒例です。
25年連続しもやけ?? ぐらいの勢いです。
業ですよねぇ、ほんとに。
なので、足がかゆい私です。
昨日は、富山県の小矢部市で、昼、夜と勉強会で話をしました。
いつものクロスランドおやべです。
人は皆、誰でも、幸福を求めて生きています。
ところが、努力しているにもかかわらず、幸せはやってこず、
苦しみ悩みがなくならないのは、いったいどうしたわけでしょう?
どうして、そのようなことになってしまうのか?
その原因をお釈迦さま、親鸞聖人はどのように教えておられるのか、
このことについて話をしました。
お金があっても、立派な家に住んでいても、好きな人と一緒になっても、
それでも満たされない心、それでも解決されない不安、
その元凶とは何か?
仏教にハッキリと教えられていますよ。
聞いてくださいね。
お気軽にお問い合わせください☆
と聞くと、何か小難しい感じがして、面倒くさいと思う人もあるでしょう。
「そんなことを考えたって暗くなるだけ」
とどこからか、そんな声さえ聞こえてきます。
どうも人生を考えることは、敬遠されがちな気がします。
でも、あの芥川龍之介はこう語っています。
「人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのは莫迦莫迦しい。
重大に扱わなければ危険である」
(『侏儒(しゅじゅ)の言葉』)
どこにでもあるマッチ箱を、重大に扱うのはばかばかしい。
しかし“マッチ一本火事の元”。
確かに重大に扱わなければ危険です。
自分の人生ほど重大なことはないのに、
ある人は目を背け、ある人は腫れ物にでも触るようにしているのは、
どうしたわけでしょう?
明るいことを考えれば明るくなる。
暗いことを考えれば暗くなります。
人生を考えるとイヤーな気持ちになるとしたら、
その人生に、何かイヤーなものがあるということではないでしょうか?
ならば、どうして放っておけるでしょう。
お釈迦さまは、私たちを本当の幸福へと教え導いてくださっています。
だからこそ、真実から目をそらさず、
勇気を出して、自らの人生と真正面から向き合うことが大切です。
仏教を説かれたお釈迦さまは、『仏説譬喩経』の中で、
有名な譬えを用いて、人間の本当の姿を教えておられます。
譬え話の解説を続けたいと思います。
※例え話はこちら→「人間の実相の譬え話」
※例え話を動画でご覧になることができます。
「虎」に譬えられたものとは、一体、何なのでしょう?
獰猛な虎に例えられたのは、
「自分の死」であり、追いかけてくるのは、
無常の風の激しさを表しています。
「死んだら死んだ時さ。死なんて怖くないよ」
と言う人も、健康診断で再検査を通告されると、急に元気がなくなります。
結局それは、死が怖いからに違いありません。
人間には5つの願いがあるといわれます。
一、いつも三月、花のころ。
二、おまえ十八、わしゃ二十歳。
三、死なぬ子三人、皆、孝行。
四、使って減らぬ金百万円。
五、死んでも命のあるように。
この中で、どれか一つと言われれば、やはり5番目の
「死んでも命のあるように」
を選ぶのではないでしょうか?
命あっての物種で、絶対に「死にたくない」のが人間なのです。
ところが作家、ヴィクトール・ユゴーは、
「人間は不定の執行猶予期間のついた死刑囚だ」
と言っています。
すべての人間の悲劇は
遅かれ早かれ死なねばならないところにあります。
「上は大聖釈迦牟尼世尊より始めて、
下は悪逆の提婆に至るまで、のがれ難きは無常なり」
で、世の一切の有情はこの猛虎のために白骨に化したのです。
西洋のある哲人は、こう言っています。
「生きるということは、
死が何時も妨げられていることであり、
死の猶予に外ならぬ。
我々の呼吸は、死との不断の戦いであり、
しかも必ず終いには敗けると定まっている戦いなのだ。
我々は生まれた時からすでに死の掌中にあるが、
死は、その餌食を呑みこむ前に暫く、それを弄ぶのだ。
かくて我々が少しでも長命しようと、
非常に配慮し、気遣うのは、
あたかもシャボン玉を吹いて
終には破滅するに間違いないことを知りながら、
それを出来るだけ大きく、長い間ふくらまそうとするに等しい。
かくの如きの悪戦苦闘の中で、
彼らが堪えてゆくのは、
生を愛するよりもむしろ死を忘れるにある。
然るに、死は何時もその背後に
離れず時々刻々に迫っている。
暗礁と渦巻に満ちた大海で
人間はあらゆる手段と尽力でそれを切り抜けても、
死という最大の危機、根底からの破滅はさけられない。
取りかえしのつかない破船に近づきつつあるのを知りながら、
その方に向かって舵を取っているのだ」
誠に恐ろしいことではないでしょうか。
ですが、真剣にそうだとは思わない心が、もっと恐ろしいのです。
(つづく)
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
最近、かなり忙しい状況が続いて、なかなか更新できていませんでした。
ご心配をおかけしてすみません。
12月に入りましたね。
今年も、あと1ヶ月です。
暖冬と言いながら、早速、足がしもやけになりました。
毎年恒例です。
25年連続しもやけ?? ぐらいの勢いです。
業ですよねぇ、ほんとに。
なので、足がかゆい私です。
昨日は、富山県の小矢部市で、昼、夜と勉強会で話をしました。
いつものクロスランドおやべです。
人は皆、誰でも、幸福を求めて生きています。
ところが、努力しているにもかかわらず、幸せはやってこず、
苦しみ悩みがなくならないのは、いったいどうしたわけでしょう?
どうして、そのようなことになってしまうのか?
その原因をお釈迦さま、親鸞聖人はどのように教えておられるのか、
このことについて話をしました。
お金があっても、立派な家に住んでいても、好きな人と一緒になっても、
それでも満たされない心、それでも解決されない不安、
その元凶とは何か?
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