人生は旅。


知らず知らず 歩いてきた

細く長い この道

振り返れば 遥か遠く

故郷(ふるさと)が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道

地図さえない それもまた人生



(美空ひばり 「川の流れのように」)




振り返ってみると、遥か遠く、故郷が見える。

34年の人生を振り返ってさえ、そんな歌詞に違和感を覚えません。


昭和50年4月、当時、仕事の関係で両親はロンドンに居ました。

そのとき、私は生を受けました。

その後、5歳で東京へ。

千葉、香港、長崎、福岡……。


学校での運動会や文化祭、合唱コンクール、

部活動で、仲間と共に練習に取り組んだこと、

大会で予選を突破した喜び。

引越しで転校するたびにあった、別れと出会い

受験に失敗し、1年間、浪人生活をしたことも、今となっては懐かしく思えます。


私に限らず、それぞれの人生があり、

それぞれの道のりがあったでしょう。


昨日から今日、今日から明日へと、

知らず知らず、歩んできた“時の旅”を振り返ったとき、

その道のりで起きた数々の出来事を思い出さずにはおれないのです。


仏教を説かれたお釈迦さまは、すべての人を“旅人”に譬えられました。

※たとえ話は、こちらに載ってます。


※動画でも見ることができます。



今日がどんなに楽しくても、今日という日にとどまっていることは出来ません。

明日、明後日へと、どんどん、どんどん、旅を続けていくのです。


とんちで有名な一休は、こんな歌を残しています。



“世の中の 娘が嫁と 花咲いて

     嬶としぼんで 婆と散りゆく”



女性で一番良い時が、時代。だから娘という字は、女偏に良いと書きます。


娘が結婚して家に入ると、になります。


嫁さんが子供を生むと、(かかあ)といわれます。

「女は弱し、されど母は強し」といわれるように、

新婚当初はおしとやかでも、

お母さんになると鼻高くなりますので、女偏に鼻と書きます。


嬶の次におさんになります。額に波がよってくるので、

女の上に波と書くのだそうです。



これが女性の一生ですが、男性も呼び名が違うだけで、

すべて同じコースをたどります。


何十億の人がいても、例外はありません。


いつまでも娘ではおれませんし、お婆さんが娘に戻ることはできません。


「この間まで自分は娘だと思っていたのに、

 もう息子が嫁をもらって孫ができた。いやぁ月日のたつのは早いなぁ」



と言っているように、女は、


【娘】→【嫁】→【嬶】→【婆】



娘から嫁、嫁から嬶、嬶からお婆さんへと、どんどん旅をしているのです。


毎日、鏡を見ている時には、昨日から今日への変化に

気づくことはありませんでしたが、アルバムを見て、


「あぁ、自分にも、こんな小さいときがあったのか……」


と、誰しも思ったことがあるのではないでしょうか?



自覚があってもなくても、私たちは、どんどん、どんどん、旅を続けているのです。


一休が「婆と散りゆく」と言っているのは、どういうことでしょう?

一休は、またこんな歌を残しています。


“門松は 冥土の旅の 一里塚”


「冥土」とは「死後の世界」のことです。

一日生きたということは、一日死に近づいたということですから、

生きるということは、死へ向かっての行進であり、

「冥土への旅」なのです。


年が明けると、みんな「おめでとう」「おめでとう」と言います。

しかし一年たったということは、

それだけ大きく死に近づいた、ということですから、

元旦は、冥土の旅の一里塚なのです。


旅と聞けば、楽しいイメージなので、

「かわいい子には旅をさせよ」

のことわざを持ち出して、

「旅行に行かせて、お金ちょうだい」

という子供もいるとかいないとか……。



今日でこそ、“旅は楽しいもの”というイメージが定着しましたが、

お釈迦さまの時代はもちろん、長い間、

“旅は苦しいもの”というのが一般的でした。



「一生は 旅の山路と 思うべし 平地はすこし 峠沢山」

と歌った人もありました。



成功者の徳川家康も、

「人の一生は、重荷を背負うて、遠き道を行くが如し」

と晩年に語っています。



ここで、そんな苦しい旅路をゆく旅人にとって、

最も大切なものとは何か、考えてみましょう。


お金? 宿泊所? 旅の友?


いえいえ、それは二の次三の次。



一番大切なのは、「目的地」でしょう。


果たして、“私”の旅の目的地は、ハッキリしているでしょうか?



一休の言うように、「冥土」が目的地である旅ならば、

「死ぬために生きている」ことになってしまいます。


ただでさえ“生きる”ことは苦しいのに、

「死ぬため」の人生ならば、自殺するのが一番賢いことになってしまう。

そんなバカなことがあるでしょうか??


何のために生きているのでしょう?

苦しくとも生きねばならないのは、何のためでしょう?


旅人に目的地があるように、私たちの生きる目的は何なのか。

それこそ、まずハッキリさせないといけない大問題ですよ、

とお釈迦さまは、私たちを旅人に譬え、教えてくださっているのです。



■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■


人生は旅。

ビートルズの名曲

「ロング・アンド・ワインディング・ロード」(長く曲がりくねった道)

には、こんな一節があります。


 孤独な時も 何度かあった

 泣いた夜も 幾夜かあった

 きみには 決してわかりはしないけど

 人知れず試みた道も 幾つかあった

 そうして ぼくが辿り着いた道

 それは あの長く曲がりくねった道


(山本安見・訳)




それぞれが、それぞれの人生の旅路を歩んでいます。


それは、決して平坦で楽な道ではないことを、

誰もが実感するから、ビートルズの名曲も一層深く、心に染み入るのでしょう。



振り返ってみると、今ここに生きる私の過去は、

すべての出来事が連なりをもっていることを知らされます。


「どうして仏教の講師になろうと思ったの?」


よく聞かれる質問なんですけど、自分の過去がみんな関係していることだから、

なかなかひと言では言えません。


小さい頃、友だちと遊んだこと、海外で過ごした経験、

学校での出来事、クラブ活動、受験、浪人生活、家族とのこと……。


いろいろなことがあったけれど、どの一つがなくても、

今の私はなかった、と思います。


親鸞聖人の教えとの出遇いで、

私の人生は180度変わりました。


「終わりなき旅」が人生と思っていたけれど、

人生の旅には、ゴールがあることを知らされました。

旅の目的地を知ったら、目的地目指してまっしぐらです。

光に向かって進ませていただきます。




美空ひばりで思い出すのが「人生一路」の歌。

美空ひばりさんの歌にかける熱い想いが、この歌を通して伝わってきます。

昭和45年の発表以来、コンサートのラスト・ナンバーとして歌い続けられた曲です。





真実一路、今にかける親鸞学徒の心意気を

「人生一路」の替え歌にした「真実一路」が私は大好きです。


1.

一度決めたら  二度とは変えぬ

これがわれらの 生きる道

泣くな迷うな  苦しみぬいて

弥陀の願心   果たすのさ


2.

雪の深さに   埋もれて耐えて

麦は芽を出す  春を待つ

生きる試練に  身をさらすとも

誓い貫く    人になれ


3.

胸に六字の   炎を抱いて

決めたこの道  まっしぐら

一念にかけよう 真実一路

信はみ法の   風に咲く






ペタしてね


皆さんのクリックのおかげで、ランク上昇中です。


本当にありがとうございます。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ  今日も、あなたのクリックに感謝

人気ブログランキングへ  すてきな一日をお過ごし下さい  




★ミニまぐでメルマガ配信中!(ほぼ日刊です)


【昨日より今日が前進 言葉で親しむ仏教講座】


 携帯電話でも読みやすい1分で読める法話です。

 仏教に親しみを感じるいろいろなエピソードを、

 ほぼ日刊で配信しています。


 ちょっとしたことで悩んだり、落ち込んだりするのが人間。

 そんなに強いものではないですよね。


 だけど、ちょっとしたヒントで、昨日より今日、一歩でも

 前進できたら、きっとすてきな一日になるはずです。


 メルマガの登録・解除は、こちら からどうぞ。


 ここに空メールを送っても登録が出来ます。

  ↓

 M0094295@r.mini.mag2.com



□━●━○━●━□
 ぴょんたの
  ひまわり日記
■━○━●━○━■


【mixi】 でも読めます☆ マイミク大歓迎です!!

 
【浄土真宗 親鸞会 公式ホームページ】

  親鸞会では、親鸞聖人の教えをお示しして、
  『正信偈』や『歎異抄』の意味をわかりやすく解説しています☆


親鸞会の仏教勉強会のご案内

  どなたでも参加できる無料の勉強会です☆


 ご相談・お問合せフォーム

  お気軽にお問い合わせください☆