皆さんは、『歎異抄』(たんにしょう)という本をご存知ですか?


「あぁ、知ってるよ。確か、中学か高校の授業で習ったな……」


そんな方も少なくないかもしれませんね。


日本史や古文の教科書などに載っていて、私も習いました。


「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」

(善人でさえ、浄土へ生まれることができるのだから、


 ましてや悪人は、なおさら往生できる)


この謎めいたフレーズが、妙に心に残りました。


「え? どういうこと?」


どこかの大泥棒が、こんなことをうそぶいているなら、


自分勝手な理論を言ってるな、で終わっていきます。


ところが、日本の仏教史の中で、最も有名な親鸞聖人 が、


このようなことを言われたとなると、あまりに不可解です。



「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」

全18章からなる『歎異抄』第3章に、この有名なフレーズはあります。

第3章、冒頭部分の現代語訳は、こうです。


「善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。

 それなのに世の人は、つねに言う。

 悪人でさえ浄土へ往けるのだ、ましてや善人は、なおさら往ける」


やっぱり、「あれれ?」と思う。


これは、有名な「悪人正機」(あくにんしょうき)を言われたもの。

悪人正機とは、悪人を救うのが、阿弥陀仏の本願、ということです。

でも、そんなことを言われても、サッパリ……。


「じゃあ、善人は救われないんだね。


 悪いことをやった方がいいってことだね」

そんな誤解を生むだけで、正しく理解できる人は、おそらくないでしょう。


そのような誤解があってはならないので、


親鸞聖人の言われる「善人」「悪人」とは、


どういうことなのかをよく知る必要があります。


一般の『歎異抄』解説本は、この「悪人」の解釈がまちまちです。

“この世でより多くの汗と涙を流しながら生きる人間たち”

“さまざまな重荷を背負いつつ、よろめきながら歩く人びと”

“つらい思いをして生きている人たち”

など、いろいろです。


どの解釈を信じていいものか……?

どうしたら、親鸞聖人の言われる「悪人」


正しい意味を理解することが出来るのでしょうか?



実は、この『歎異抄』は、親鸞聖人の書かれたものではなく、


親鸞聖人の亡き後、お弟子の唯円房が書いたものと言われています。


『歎異抄』は本来、門外不出の秘本であり、


親鸞聖人の教えを正しく理解した上で読まないと、


誤解してしまうところが随所にあります。



「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける」との誤解も、


『歎異抄』によるところが大きいでしょう。


自由奔放に解釈されている『歎異抄』ですが、


しかし、親鸞聖人の真意は唯一のはず。


その親鸞聖人の真意は、


親鸞聖人自作の『教行信証』(きょうぎょうしんしょう=親鸞聖人の主著)


によらねば、もうわからないのです。


「私はすでに『歎異抄』を中心にして一冊の書物を書いているが、

 親鸞の信の結実とその真の姿は、『教行信証』全体に入ることがないならば、

 見とどけることはできないと強く言いたい」


このように述べた識者もあります。


これまで、『歎異抄』の解説本は、毎年10冊前後、発刊されていて、


1冊の古典、しかも仏教書が、これだけ注目され、


その解説本が出版され続けるのは、それだけでも珍しいことです。



歎異抄の謎めいた魅力を解き明かそうと、多くの人がチャレンジするのでしょう。


ところが、その歎異抄解説の新刊が、


ある時から、ピタッと見られなくなったのです(※)。

それは、『歎異抄をひらく 』という歎異抄の解説本が出版されて以降のことでした。


『歎異抄をひらく』という本は、


親鸞聖人の書き残された『教行信証』などをもとに、


『歎異抄』の解明に鋭意努められた書です。



本の随所に、親鸞聖人の『教行信証』などの言葉が示され、


それに基づいて『歎異抄』の不可解とさえ思える文章が、説き明かされています。


「これまでの歎異抄解説書は、一体何だったのだろうか」

と、読者の感想にありましたが、


これまで発刊されてきた何千冊にも及ぶ過去の歎異抄解釈が、


すべて覆される事態にもなりかねないことになっています。


『歎異抄』は、その本のタイトルのとおり、


親鸞聖人亡き後、親鸞聖人の仰せと異なることを言いふらす者の出現を嘆き、


著者がその誤りを正そうとして書かれたものです。



それぞれの思いで『歎異抄』を読み、勝手な解釈をして、


異説を広めるようなことになっては、


親鸞聖人も、『歎異抄』の著者も悲しませることになるでしょう。



これから、どんな『歎異抄』解説の本が出るかわかりませんが、


これから出る解説本は、


「私はこう思う」とか、


「ここは、こういう意味だと思われる」のような筆者の私見でなく


やはり親鸞聖人の書かれた『教行信証』を物差しとして、


『歎異抄』の真意解明に努めた書であってほしい、と願わずにはいられません。


(※)
 見られないというと、やや語弊がありますが、
 既刊本に加筆されたものや復刻版は幾つか出ましたし、
 真宗大谷派の親鸞仏教センターが5年かけたという解説書も、
 一応昨年出るには出ました。
 しかし、事実上、『歎異抄をひらく』の後の新作と呼べるものはない
 と言ってもよさそうなので、そのように表記しました。


■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■


直木賞作家、東野圭吾の『白夜行 』(びゃくやこう)がドラマ化(2006年1 - 3月)され、


関東では、今年5月から再放送されたようですね。

山田孝之、綾瀬はるか、武田鉄矢などが出演していました。


笹垣という刑事役を演じた武田鉄矢が何度も『歎異抄』の言葉を口ずさむのが、


ちょっとした話題になっていたようです。


原作にはない『歎異抄』の言葉を使うようになった経緯を、


武田鉄矢は、こう語っています。



―笹垣を演じるにあたってのこだわり


犯罪者2人が愛というテーマでずっと何かを追い続けるのならば、

笹垣も何か強いもの持っていないとダメだと思って、

演出家と相談して、すき間すき間で

親鸞の(教えを説いた)『歎異抄』を口ずさんでるんです。

これは最初にやった時に演出家が訳分からず

「あっ、いいですね!」って言ってくれて、それ以降やらせてもらってるんですよ。


なぜ『歎異抄』なのかと言いますと、

このドラマの持っている最終的な大きいテーマじゃないかと思うんだけど、

「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」というのがあるんですが、

悪こそ救済の対象なんだという意味で、これは原作の中で

深く漂ってるんじゃないかって思ったんですよね。


雪穂(役:綾瀬はるか)がマリア様に向かって

自分の運命をのろうところがありましたが、

マリアから打ち捨てられたヒロインを救いうる宗教は世界にたった一つ、

親鸞の浄土真宗だけなんですよね。

これがどういう結果になるか分からないですけど、

毎回小さく『歎異抄』の一部分をつぶやきで入れています。


※TBS「白夜行」公式ホームページより
http://www.tbs.co.jp/byakuyakou/inter11_1.html


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ドラマの主題歌は、柴崎コウの「影」




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