昨日、一昨日は鳥取におりました。
鳥取の町役場に努める知人が、丸ごとパイナップルを持ってきて、
その場にいた10人ぐらいと一緒に食べるご縁がありました。
そういえば、久々だなぁ、と。
甘~いパイナップルで、とっても美味しかったです。
今日は、高校の倫理の教科書の中からです。
こんなことが書かれていました。
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わたしたちはだれしも幸福をもとめる。
幸福を願わない者はだれもいないであろう。
しかし幸福とはいったい何であろうか。
わたしたちは幸福というとき、まず衣食住にめぐまれ、
健康で、さらにさまざまな危険から守れている安全な状態、
つまり、健康で快適で安全な生活を考える。
これはいいかえれば、身体的な面において十分満たされている状態だといえよう。
しかし、幸福とはこのような満足につきるだろうか。
ある哲学者は
「人生とは一般には苦痛と退屈との間の振り子運動である」
といっている。
すなわち、身体的に少しでも満たされないところがあると苦痛を感じるが、
では、それがとりのぞかれれば満足かというと、必ずしもそうではない。
満足を感じるのは苦痛がとりのぞかれた直後だけであって、
やがて何もすることがないために、かえって退屈、
むなしさの感情に襲われることになる。
こうして人生とは、結局、苦痛と退屈との間の振り子運動にすぎないというのである。
この哲学者のいおうとしていることは、人間はどれほど身体的に満たされていても、
精神的に満たされることがなければ、本当の意味で幸福とはいえない
ということである。
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なるほど、と思いました。
確かに、日本の社会では、政治、経済、科学、医学などのめざましい
進歩発展によって、日常生活の身体的な苦痛は、敗戦直後と比べたら
かなり軽減されたと思います。
なのに、それに満足して幸せを感じている人は、どれほどいるのだろうか?
と疑問に感じるのは、私だけでしょうか?
何が本当の幸せなのか、立ち止まって考えてみることは、
非常に大切なことだと思います。
それについて、こんなことも書かれてあったので紹介しましょう。
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人生について深く考えるとき、わたしたちはそれを哲学するという。
哲学するとは、この人生についての根本知識を得ようとすることである。
(中略)
先人の思想に耳を傾けることも忘れてはならない。
先人から学ぶことがなければ、わたしたちの思索は単に貧弱なものに
とどまるだけでなく、独断と偏見におちいる危険すらある。
「学びて思わざれば則ちくらく、思いて学ばざれば則ちあやうし」
あるように、自ら考えると同時に、また先人から学ぶことが大切である。
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学びの機会は、本当に貴重だと思います。
「心の幸せ」を仏教に学ぶことが出来たのは、
生涯の何ものにも代えがたい宝でした。
これからも、学びの機会を大切にしてゆきたいと思います。
(*^-^)
○~思い出日記~○
以前、学生と話をしていたときの話題です。
「十」という名字があるそうです。
ん?これってなんて読むんだろう?
とおさん? じゅうさん?
見当もつきません。
答えは、「つなし」さん。
数を数えるとき、ひとつ、ふたつ、みっつ…、と数えていって、最後に「とお」。
そうです。「とお」だけ“つ”がない。
だから「十」と書いて「つなし」さんというわけでした。
いろいろな名前があるんですね。
(*^-^)
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ぴょんたの
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