「惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)」
と親鸞聖人は正信偈に、人間の姿を教えておられます。
「惑」とは、煩悩のことです。
煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませ、苦しませるもののこと。
煩悩は、一人に108つずつあるので、これを百八の煩悩と仏教で言われます。
「染」とは、染まっている、ということですから、人間は煩悩に染まっているということです。
歎異抄には、「煩悩具足の凡夫」とも言われています。
煩悩で出来上がっているのが人間ということです。
自分は、つくづく、迷いが深いです。
深いなぁ…。そんなことを考える一日でした。
「惑」とは、煩悩のことです。
煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませ、苦しませるもののこと。
煩悩は、一人に108つずつあるので、これを百八の煩悩と仏教で言われます。
「染」とは、染まっている、ということですから、人間は煩悩に染まっているということです。
歎異抄には、「煩悩具足の凡夫」とも言われています。
煩悩で出来上がっているのが人間ということです。
自分は、つくづく、迷いが深いです。
深いなぁ…。そんなことを考える一日でした。
(「迷いを打ち砕く!!!!」とつい力が入った画像)
「素直に生きたい」と思っても、ぜんぜん素直じゃない。
「素直になろう」と思っても、まったく素直にならない。
単なるひねくれ屋さん?
でも、そうだとしたら筋金入り。
天邪鬼(あまのじゃく)という言葉があるけど、天邪鬼の生まれ変わりでないかと自分で思うぐらいです。
多くの仏教の話を聞かせて頂いた中で、特に強く心に残った一つに「慢」の話があります。
「慢」も煩悩の一つです。
慢とは、仏教で自惚れ心のことを言います。
自分を良いものと思って、毛頭自分を悪く見れない心のこと。
その自惚れ心を七つに分けたものが「七慢」。
その中の一つ、「我慢(がまん)」の話は、聞かせていただくたびにピタッときます。
「我慢強い」と聞けば、世間では良い意味にとられますが、実はこれ、自惚れの一つ。
「我慢」とは、自分の間違いに気づきながらも、どこどこまでも自分の考えを押し通そうとする心のこと。
本人は、「そうじゃないんだよな」とわかってても、自分で自分の間違いが認められず、間違いをおし通してしまうんです。
「馬鹿じゃない?」と思うんですけど、本当に自分でもそう思うんですが、「馬鹿です」と言いながら、やっぱり曲げない。
こういうのを「業(ごう)が深い」と言うのでしょうか…??
「この心、何とかしたい、何とかなりたい」
と思うんですが、そこは煩悩具足の凡夫。
自分の心ならコントロールできる、と思うのは、その程度の心。
煩悩で出来上がった人間、縁さえくれば、もう吹き上がってきます。
自分の心で、自分の心を何とかしようとしても、何ともならない。
煩悩をどうにかしようと解決を求めても、絶対に解決は求まらない。
親鸞聖人は、20年間、比叡山でご修行されても、どうにも出来なかった、と告白しておられます。
そんな親鸞聖人が、29歳で、煩悩即菩提の絶対の幸福に救い摂られました。
「不断煩悩得涅槃」(正信偈)
欲や怒りの煩悩を、減らしも無くもしないままで体験できる、驚くべき幸福の存在を、親鸞聖人はズバリ教えておられます。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
今から夜行バスで大阪に向かいます。
本当はJRで行く予定が、洗濯物が乾かず……(涙)
明日は先週に引き続いて鳥取へ☆
親鸞聖人の教えを待ち望む人たちに、話をしてまいります♪
(*^-^)
「素直に生きたい」と思っても、ぜんぜん素直じゃない。
「素直になろう」と思っても、まったく素直にならない。
単なるひねくれ屋さん?
でも、そうだとしたら筋金入り。
天邪鬼(あまのじゃく)という言葉があるけど、天邪鬼の生まれ変わりでないかと自分で思うぐらいです。
多くの仏教の話を聞かせて頂いた中で、特に強く心に残った一つに「慢」の話があります。
「慢」も煩悩の一つです。
慢とは、仏教で自惚れ心のことを言います。
自分を良いものと思って、毛頭自分を悪く見れない心のこと。
その自惚れ心を七つに分けたものが「七慢」。
その中の一つ、「我慢(がまん)」の話は、聞かせていただくたびにピタッときます。
「我慢強い」と聞けば、世間では良い意味にとられますが、実はこれ、自惚れの一つ。
「我慢」とは、自分の間違いに気づきながらも、どこどこまでも自分の考えを押し通そうとする心のこと。
本人は、「そうじゃないんだよな」とわかってても、自分で自分の間違いが認められず、間違いをおし通してしまうんです。
「馬鹿じゃない?」と思うんですけど、本当に自分でもそう思うんですが、「馬鹿です」と言いながら、やっぱり曲げない。
こういうのを「業(ごう)が深い」と言うのでしょうか…??
「この心、何とかしたい、何とかなりたい」
と思うんですが、そこは煩悩具足の凡夫。
自分の心ならコントロールできる、と思うのは、その程度の心。
煩悩で出来上がった人間、縁さえくれば、もう吹き上がってきます。
自分の心で、自分の心を何とかしようとしても、何ともならない。
煩悩をどうにかしようと解決を求めても、絶対に解決は求まらない。
親鸞聖人は、20年間、比叡山でご修行されても、どうにも出来なかった、と告白しておられます。
そんな親鸞聖人が、29歳で、煩悩即菩提の絶対の幸福に救い摂られました。
「不断煩悩得涅槃」(正信偈)
欲や怒りの煩悩を、減らしも無くもしないままで体験できる、驚くべき幸福の存在を、親鸞聖人はズバリ教えておられます。
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