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今日は、鳥取に来ています。
岡山に比べると、冷えますね。

この前、広島に行ったときに、2人の大学生といろいろ仏教のことについて話をしました。
実家が浄土真宗ということでしたが、10代で仏教に関心を持ったことを非常にうれしく思いました。

会話の中で、中村久子さんのことが出ましたので、少し取り上げたいと思います。

中村久子さんは、テレビ番組「知ってるつもり」でも紹介されたことがあり、ご存知の方も多いかもしれません。

3歳の時に、凍傷がもとで突発性脱疽(だっそ:※)となり、左手が手首から崩れ落ち、
脱疽が転移していた右手と両足を切断、両腕の肘から下と、両足の膝から下を失いました。

※突発性脱疽(とっぱつせいだっそ)
 高熱のため肉が焼け骨が腐り、細胞が壊死する病気で壊疽(えそ)ともいわれ、血行障害によって、組織が一部腐る病気)

中村久子さんは、明治30年(1897年)に、現在の岐阜県高山市に生を受けました。
3歳で両手両足を失い、一時は失明の苦しみまで経験しました。

久子さんのお母さんは、久子さんが誰にも迷惑をかけずに生きていけるようにと、
礼儀作法を教え、読書、書道などを厳しく教え、裁縫や食事も自分で出来るように教育したそうです。

久子さんは20歳の時に見世物小屋に入り、客の前で書道や裁縫をやって見せ、自活に挑戦。

「恩恵にすがって生きれば、甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」
と決意し、生涯を通じて制度による保障を受けていません。

見世物小屋時代に、そのつらい経験を書いた文章が認められ、雑誌に掲載されました。
それがきっかけで、久子さんの境涯が世間に注目されることになります。

41歳のとき、ヘレンケラー氏と出会い、「私より不幸な、そして偉大な人」と言葉を贈られます。
その後、全国の学校や婦人会や寺院で、苦しみのなかで生き抜く道を講演して歩くようになったのです。

しかし久子さんは心の中に、自分の苦しい経験を人に説いて聞かせてあげているという慢心を見つけて悩んだとされます。

東京のある婦人会に招かれたとき、久子さんは、熱心な浄土真宗の門徒に出会い、それが縁で『歎異抄』を読み、衝撃を受けます。
その感動を久子さんは、

「そのお言葉はまさに旱天に慈雨。
 長い間土の中にうずめられていた一粒の小さい種子がようやく地上にそうっと出始めた思いがしました」

と自伝に書いています。

「逆境こそ恩寵なり。人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」

力強い言葉が心に響きます。


中村久子さんが強く影響を受けた『歎異抄(たんにしょう)』は、日本を代表する世界的な名著と言われます。

『歎異抄』に魅了された人の声をいくつか紹介しましょう。

大正時代の大ベストセラー『出家とその弟子』は、倉田百三が『歎異抄』から受けた深い感動をもとに描いた作品でした。
その翻訳を読んだフランスの文豪ロマン・ロランは、感激のあまり、倉田に直接手紙を送り、絶賛したといわれるほどです。

「どこまでも敬虔な、謙虚な、しかし真理のためには何ものをも恐れない態度で書かれているのである。
 文章も日本文として実に名文だ。国宝と言っていい」
(倉田百三)

「『歎異抄』は、私の知っているかぎり、世界のあらゆる文書の中で、いちばん内面的な、そして本質的なものである」
(倉田百三)


日本を代表する哲学者たちも、次のように絶賛しています。

「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」
(西田幾多郎)

「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」
(三木清)


小説家・司馬遼太郎は、学生時代だった。太平洋戦争の真っ最中、急に兵隊に行くことが決まると、
「死んだら、どうなるのか」
という底知れない不安が、わきあがってきたと言います。

人に聞いても分からない。
そこで、書物の中に解決を見出そうと、書店を訪ね歩いているうちに、彼の目をひいたのが『歎異抄』だったのです。

一体、どこに引かれたのか、晩年の講演で、次のように語っています。

「非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね」

「理屈も何もありませんが、どうも奥に真実があるようでした。
 ここは親鸞聖人にだまされてもいいやという気になって、これでいこうと思ったのです」

司馬遼太郎は、『歎異抄』を肌身離さず持ち歩き、暇さえあれば読み返していたそうです。

戦後、司馬遼太郎は『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂の上の雲』『街道をゆく』など、
数多くの歴史小説や随筆を執筆、昭和を代表する作家となっていきます。

そんな中でも愛読していたのは、やはり『歎異抄』でした。

「大変な名文でして、私は若いころからこの本を愛好しています」

『歎異抄』の美しい文体が、執筆活動の血肉となって支え続けたのでしょう。

それだけではありません。
『歎異抄』の魅力は、音読にあることを発見しています。

「現代人の目から見れば、『歎異抄』は単純な書き方です。
 物足りないどころかつまらない感じがして、これではおれは救われないと感じていました。
 ところがある日、ちょっと音読してみますと、全く違うのです」

「声を出して読むと、リズムがわかってくるのです。
 親鸞聖人、そしてこの本を書いた唯円という、あまり知られていない僧侶の心の高鳴りが、声を出すとよくわかってきます」

「文章よりも、文章の行間が、リズムを奏でながら出てくる感じです。
 そのリズム、高鳴りが、声を出して読むと、体で、心で感じてしまう。頭で感じず、心で感じる……」

「私は『歎異抄』を黙読してわかった気になっていましたが、これは誤りであることがわかりました」

膨大な歴史資料をもとに、数々の人間ドラマを構築し、
名作を残した司馬遼太郎だからこそ、言い当てることができる『歎異抄』の一面でしょう。

日本人の教養として、また、人生を見つめ直す時に、一度は読んでおきたい名著が『歎異抄』です。

来年の1月1日に一万年堂出版から朗読DVDブック「歎異抄をひらく」が発売される予定です。
単行本は、既に発刊され、書店に並んでいるので、読まれた方も多いと思います。

年始めに、じっくり聞いてみるのも良いですね☆
(*^-^)

■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■

前回のひとり言で、オススメの“○○まん”をお尋ねしたのですが、早速、返事が来まして…。

アンパンマンとウルトラマンをオススメ頂きました(笑)

アンパンマンは食べられそうですが、ウルトラマンは…。

それと、広島と岡山の皆さんにお知らせなのですが、

今月は会場の日程が合わず、勉強会は来年に持ち越しとなりました。

また、お知らせ致しますね☆

よろしくお願いします♪


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[発行人]
Hidekuni Moriyasu(ぴょんた)

[Profile]
昭和50年4月13日、ロンドンで生まれる。
英語はすでに忘れ、日本語で精一杯。
高校時代は、長崎で過ごし、陸上部に所属。
大学では工学部の環境工学を専攻。
ベイクドチーズケーキと肉じゃがが大好物。
現在、浄土真宗の講師として活動中。

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