デコポンキャンディ.jpg
おはようございます☆

昨日は、雨やら風やら雷やらで、かなり大変だったみたいですね。
JRが止まってしまったのも、なるほど、後でうなずけました。

昨日、大阪でお会いした方から、おもしろいキャンディを頂きました。
かんきつ類で、「デコポン」という、みかんのてっぺんがポコッとふくらんだみたいなものがありますよね。

そのキャンディです。

JA、がんばってるなぁ、と感じました(笑)

ではでは、昨日の「お盆」についての続きです。

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ウラボンという梵語(ぼんご)は倒懸(とうけん)ということです。
即ち「倒さに懸れる者」ということです。

ですから『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』とは「倒さに懸れる者を救う方法を教えた経」ということです。

果たして、倒さまに懸って苦しんでいるのは目連(もくれん)の亡き母だけでしょうか。

死後にだけ餓鬼道があるのではありません。

腹だけが馬鹿に大きく皮骨連立(ひこつれんりゅう)の奇形動物だけを餓鬼だと思っていたら大間違いなのです。

迷いを迷いと思われず、真実を真実と信じられず、
迷いを真実と誤解して苦しみ悩んでいる者は、仏眼(ぶつげん)からごらんになると、皆倒さに懸って苦しんでいる餓鬼なのです。

親鸞聖人は
「世の中のこと、みなもって、そらごと、たわごと、まことあることなし、ただ念仏のみぞ、まことにておわします」
と仰言っています。

キリのある身命を持ちながら、キリのない欲を満たしてから仏法を聞こうと考えている大馬鹿者の、如何に多いことでしょう。

みな倒さに懸っているものばかりです。

だから、地位あり、財産あり、妻子ある者は、それらによって増々苦しみ、それらの無いものは、これらを求めて増々悩んでいるのです。

有るも苦なら、無いのも苦であります。
無ければほしい、あってもほしい、ほしいほしいと飢え続け、渇き続け、ウラミ続け、呪い続け、満足ということを知らず苦しんでいる餓鬼ばかりではありませんか。

一体、どこに真実の幸せを喜んでいる人がありましょうか。

一切の人々が真実の弥陀の本願を知らず、総ての考えが顛倒(てんどう)していますから四方八方ただ愁嘆の声のみが満ち満ちているではありませんか。

これがまさしく餓鬼道の相(すがた)です。

物を求め、物を惜しみ、闘争諍乱(とうそうじょうらん)の世界。

この深刻な現実の自己を凝視する時、餓鬼こそ自己の実相であることに驚くのです。

亡き祖先の後生ばかりを案じて、我身が餓鬼であることを忘れています。

お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、
今、現に倒さに懸って飢え、渇き、苦しみ続けて、未来永劫(みらいようごう)、流転(るてん)せんとしている、
我身自身を救う聞法精進(もんぽうしょうじん)の日であることを忘れてはなりません。

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「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは 己なりけり」

と昔から言われます。

わが身の姿ほど、わからないものはありません。しかし、その自己を知ることほど、大切なこともまたないのです。

お盆は、自己を見つめ、本当の幸福とは何か?何のために生まれてきたのか、心静かに仏法を聞かせていただく大切な御縁ということを記しておきたいと思います。
(*^-^)


○~思い出日記~○

最近、ブログにもこの内容を載せてます。

http://ameblo.jp/go-go-pyonta/

過去のものは、全部は載せきれていないのですが、さかのぼってアップしていきたいと思います。

以前のをチェックしたいな、と思われた方は、こちらからご覧ください☆

(*^-^)/

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