こんにちは。
昨日は富山に行っておりました。
東京はすごい雪だったようですが、逆に北陸は大したことなかったです。
高速道路を走らせ、約7時間、岡山には夜11時半頃の到着でした。
途中、多賀のサービスエリアで、最近、世間でひそかなブームの「ひこにゃん」を発見(画像を参照)。
訪れるお客さんを愛らしさで癒してました。
さてさて、お楽しみの前回の続きでございます。
・・・・・
“おお周建か、今日もお前はいつものイタズラばかりやっていたのか”
“いいえいいえお師匠さま。今日はイタズラどころではありません。
一日中、本堂で座禅工夫いたしておりました”
“なに、お前が座禅工夫とな。どうも怪しいものじゃ。
本当は本堂で寝ていたのではないか”
“とんでもございません、お師匠さま。一心不乱に一日中座禅工夫しましたが、いまだに解けぬ難問がありまして‥‥‥”
“なんじゃ、その難問とは‥‥‥。言うてみよ”
“はい、それは人間すべて死なねばならぬのか、中には死なずにおれるのか、生死是如何(しょうじこれいかん)、ということでございます”
“ううん、生死是如何か。それで周建、分かったのか”
“いやそれがまだ‥‥‥”
“そうか、お前は仲々の利巧者じゃが、まだ幼いの~。
この際じゃ、ハッキリ知っておくのだぞ。
「生あるものは必ず死す」とお釈迦さまも言われている。
誰も死はまぬがれぬものなのじゃ。お釈迦さまでも提婆でも、どんな英雄豪傑でもな~”
“死はそんなに恐ろしいものでございますか。
これで難問の一つが解けました。ありがとうございます”
“なんじゃ、まだ他に分からぬことがあるのか周建”
“はい。もう一つの難問は、この世の物は必ずこわれるものか、中には永久にこわれぬ物があるのでないか。
物の生滅是如何(しょうめつこれいかん)、ということでございます”
“はは‥‥‥、利発者でもやはり子供じゃの~、そんなつまらぬことを考えていたのか。
しかと教えておこう。この世の一切の物は必ずいつかは滅するものなのじゃ。
これを是生滅法(ぜしょうめっぽう)とお釈迦さまは教えておられる。
よくよく知っておきなさい”
“でもお師匠さま。特別に大切な物を大事に大事にしていても、それでもこわれることがあるのでしょうか”
“そうじゃ。いかに大事な物でも時節到来(じせつとうらい)と言うことがあってな~、こわれる時節がくると必ずこわれるものなのじゃ”
“はあ!それではお師匠さま。時節到来するとはなんと恐ろしいことでございますねえ”
“恐ろしいものじゃ。仏さまのお力でもどうることもできぬのじゃからの~”
“これで今日一日苦しんだ難問のすべてを、よく分らせて頂きました。
生れた者は必ず死ぬ。形あるものは必ずこわれる。これが大宇宙の真理でございますね”
“さようじゃ。もう間違いない道理なのじゃ”
“なるほど、してみると大事な人が死んだからといって泣いたり悲しんだりして心を乱さず、大事な物がこわれたからといって怒ったりわめいたりせず、時節到来ときっぱり諦(あきら)めるのが悟りというものでございますね”
“さようさようお前の言う通りじゃ”
“ありがとうございましたお師匠さま。それにつけても悟りの開けたお師匠さまの弟子である私たちは、なんと幸せ者でございましょうか”
“おいおい、そんなにワシをおだて上げても何も出ないぞ。だまらっしゃい”
“いいえ、お師匠さまから出されなくても、こちらから出させて頂きます。
実はかくの如く時節到来いたしました”
すました顔で周建が、例の茶碗を袂(たもと)の中から取り出して和尚の前に並べた。
驚ろいたが今更叱るわけにもいかぬ和尚は、
“もう、時節到来したか”
ただ一言いったという。
・・・・・
さすが一休。和尚、してやられたり。
○~思い出日記~○
最近、テレビゲームのWiiが流行ってますね。
僕が小学生の頃は、あの任天堂「ファミリーコンピュータ」でした。
小学5年生の頃、がまんできなかった??父の手により、我が家に導入されました。
私も、例に漏れず、だいぶやり込みました。
近ごろのゲーム機は、ボタンの数が多すぎて、まったく付いていけてません。
(あぁ、なんておやじくさい発言…)
6歳年下の弟には、対戦モノでは、いつもボコボコされ、年始もボコボコにされました。
(+_+)
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