コンパクトシティ論に抗う | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

先日ある業者の現場見学会があり、養父市の集合住宅を見学する機会があった。

 

聞くところによると 養父市は辺縁の場所で暮らしている人たちを市の中心部の割と利便性のいいところに寄せるために 集合住宅を建設し、そこに若い人を住まわせるという戦略を取っているとのこと。

 

このため その集合住宅には、1戸あたり300万円の補助金が出ると聞いた。今回見学した建物は4戸1棟だから、1,200万円の補助になる。建設する側は、コストを相当下げることができるので、リスクも取りやすい。

 

そんなお話を聞いて、今、地域界隈で話題となっているコンパクトシティついて思いを巡らせた。

 

私が住むハチ北は、香美町でも最も南の地域にあり、国道からは4キロ離れた場所にあり、最も辺縁の地域の1つであることには変わらない。

 

ただ幸いなことに、スキー場という集客装置があり、毎年10万人を超えるお客様が来場されることもあり 人口はそれなりに減ってはいるものの 、いまだ小学生が存在し、また生まれた来る赤ちゃんも少ないながらにいるため、他の集落に比べると衰退は緩やかなのかもしれない。

 

しかし一般的ないわゆるどん詰まりの場所は、人口減少が著しく 、このため道路、上下水道、電気など生活に必要なインフラの1人当たりにかかるコストは莫大なものになることは想像に難くない。

 

そんなことを考えると、人をできるだけ集め、コンパクトに行政をやっていくいうのは、一般論として、財政的には正しい考え方だと思う。

 

しかし日本という国が、何千年という歴史を積み重ねる中で、コンパクトシティという考え方に至ったのはごく最近のことである。

 

 それ以前は、田畑 、水、森が我々の生活を支える最も重要なものであり、人がそこで暮らすからこそ、資源として活用ができたわけでもある。

 

考えてみれば、食料とエネルギーは、人の生活にとって欠かさざるもので、食べ物は、どんなに科学技術が発達したとしても、完全に人工化することは不可能だ。

 

また、エネルギーももともと日本には、わずかな化石燃料があるだけで、主たるエネルギーは森林資源であったはずだ。今は、世界中の油田から化石燃料を掘りまくり、輸送をし、手元に来ているのであって、まだまだ人が生きるにまかなえる量はあるのだろうが、地球温暖化の問題もある。

 

国の財政負担を減らすことが第一義となり、地域の文化や歴史はおざなりで、国の中央から見ると、辺縁の地は切り捨てる他ないという論調になりがちになっているが、それは果たして持続可能なのか…という気がしてならない。

 

それに抗うには、財政第一主義を覆すだけの実績を積み上げる他ない。