私の母校である兎塚(うづか)小学校50周年記念式典を8月11日に無事に終えることができた。
写真の1枚でも撮っていればよかったのだが、なんかもうとにかく没頭していたので、自分で撮った写真は一枚もなく、誰かが撮ってくれているのだろうから、写真はそっちに任せることにしようと思う。
世の中には、100周年を迎えた小学校もそれなりにあるようだし、わずか50年で周年なんて、たいそうな…
と思われるのだろうが、実行委員長としてなぜこの式典に臨もうとしたのか、そのあたりを書いておくことにする。
私が住む香美町で、小学校の統合問題が数年前からささやかれるようになってきた。
事実、子どもの数は年々減少していて、二桁いた生徒の数は、一桁に減り、またクラスによっては、5人とかの学年も出始めていた。一般的に考えれば、当然そのような流れになってもおかしくはない。
しかし、私自身は、たとえ学年の生徒がゼロになったとしても、学校は存続すべきだとずっと言い続けてきた。
それは、学校がなくなるということは、過疎化の進行でもっとも大きな打撃だと思っているからだ。
私のように、たとえどんなことがあっても、生まれたふるさとに居続けようという人間はそう多くはあるまい。子を持つ親としては、子どもの教育環境は、最大の関心事であり、自分のふるさとがどうであるかというよりも、今の子どもにどういう環境で育てるのかを優先的に考える親は多いだろう。
私自身は、小規模校でも、いや小規模校だからこその教育というのがあるのが持論なのだが、それはまたの機会に譲ることとする。とにかく、一般的な親の発想は、子どもが少ないのは、かわいそうだ…という意識があるから、人数が少ない学校のところに踏みとどまらせることを躊躇するだろう。
学校がなくなると、そこで子どもを住まわすわけにはいかない…と外に出て、人口減少に拍車がかかり、より地域が衰退につながるのだ。だから、生徒が通える学校を維持するというのはとても重要なのだ。
そのために何が必要なのか…。
それは地域の人が『この地が大事な場所なのだ』と考えてもらうことがなにより重要だと考えた。
3年ほど前、PTA会長を拝命したとき、当時の校長と雑談していた折に、数年後に兎塚小学校は50年を迎えるのだ…とポロッと話した。
私はそれを聞き逃さなかった。
50年という機会に多くの人がそこに気持ちを寄せることができれば、それは地域として大きなムーブメントを起こせるのではないか…そう考えたのである。
地域の有力者にこのことを伝えると、多くの方が賛同してくれて、そして50周年を祝う組織をつくることになった。
ある意味言い出しっぺだったので、実行委員長にみなさんが推薦してくれて、3月の終わりぐらいから、実行委員会を組織し、50周年の記念行事を向かうことになった。
もう一つ、考えたことがあった。
それは、組織を作る際に、多様な人で構成しようということだった。
老若男女、また地元にいる人、そうでない人も含めて集まってもらうことにした。
その理由もまた後日に譲ることとする。
幸い、今はZOOMでオンラインで会議をすることもできる。
そうやって、10名ほど委員で実行委員会を組織し、4月から、会議を繰り返し、事業を固めてきた。
記念式典では、講演会をやろうと思っていた。
人選は、ほぼ決めていた。
藻谷浩介さんだ。
『里山資本主義』の著者として知られている人だ。これからの日本において、地方は絶対に切り捨ててはならないということをずっと言い続けている人だ。
私も里山資本主義はずっと前から読み、また藻谷さんの講演会も何度も足を運んでいて、この人しかいないと思っていた。
兎塚の人たちに自分たちが住むこのマチには価値があるのだということをなんとか理解してほしかった。そして、そういう人が増えていけば、必ずマチの衰退を止めることができる…そして、もっといえば、そういう町は人を呼び寄せてくる…
そういうふうにも考えた。
しかし、事態は一機に悪くなった。
香美町は7月に、統合すると発表してしまったからだ。
本当に真っ暗な気持ちになった。
この50周年をやって、兎塚は一つになっていこう…そういう気持ちを醸成して、なんとしても、学校を残す…
そう思っていたのに…。
本番を目前に控え、気持ちの中で整理つかないところがあったが、一旦走り始めた事業だ、とにかく今の自分たちでできることを出し切ろう…
そう思いなおして取り組んだ。
参加してくれた人は、きっと、何かを感じてくれたに違いない。
町の発表によれば、統合は2028年とのこと。あと、6年はある。
今からでも踏みとどまらせることができるよう…やっていくしかない。
いずれ、日本中で相当な人が減っていく。
都会にしか人が住まない日本に、どんな明るい未来が待ち望んでいるというのだ。
地方は、残すに値すべき価値がある。
ぼくらはもう一度のその認識を新たにする必要がある。
一発逆転を狙うしかない。
マチが集約することしか考えていなて、それでマチの衰退を回避しようとおもっているかもしれないが、そもそも日本という大局から見れば、香美町は、とんでもない過疎の町で、そんな小さなマチが、都会のマネごとをしてみても、さらに大きなマチに呑み込まれていくだけだ。
180度転換した発想と行動が求められる時代なのだ。
それには、まず私たち大人が自分の地域を誇りに思い、ここでいいのだと思うことだ。
50周年という節目で、母校を振り返るとき、きっと自分自身がワクワク夢描いていたことを思い出すはずだ。
自分たちは、仮面ライダーや、ウルトラマンなどなど…アニメで見たような、ヒーローやヒロインにきっとなれるはずだと。
そんな幼少時代に思いを重ねることで、未来に対して、諦めではなく、夢や希望をもつことの大切さを思い出すはずだ。
そして何より、それは一歩の行動から生み出されることを。
兎塚小学校50周年というのはあくまで通過点でしかない。
50年後、100年後も、この地域が存在し続けるための一里塚だということを…。