『自然』にはいくつかの種類がある。
世界自然遺産に選ばれている知床、白神山地、屋久島のように、人が入り込まなかったことによって、特異まれな自然を形成したというものがある一方、それ以外の多くは、人の営みの中で形成された自然というものであり、むしろそちらのほうが本流であったりする。
手付かずの自然以外のものに、人がもっとも感動を覚えるのは、やはり人が手を入れて保たれていることによるものだ。
例えば、森林資源の荒廃のことが取りあげられる。杉、ヒノキといった森も、間伐、枝打ちなどの手入れをすることで、美しい森として存在するのであり、そこに人の手が届かなければ、秩序だった美しさというものを感じることはないだろう。
田んぼや畑もそうだ。
棚田というものは田舎の風景の中で圧倒的な美を演出する。
しかし、そもそも棚田そのものが、人が手を加えてつくりだしてきたものであり、そこに畔の草刈り、そして稲などの作物がそこに植えるという人為的行為が人に感動を与えるのだ。
そう考えると、田舎がこれからも美しさを発揮するためには、そこに人が 『暮らす』ということが何よりも大事なのである。
家の周りの草刈りや墓掃除に忙しいお盆前。
自分も草と格闘しながら、そんなことを考えるのである。