最近、環境活動家のグレタさんが声を震わせ、怒りを世の中にぶちまけているのを見て、あー自分も若いころこんな感情があったよなー
と自分と少し重ねました。
#COP25 スペインの首都マドリードで開催へ 開催地の変更を受けて、環境活動家のグレタさんが移動手段を探していますhttps://t.co/J5vg6RZqnG
— Twitter モーメント (@MomentsJapan) November 2, 2019
グレタさんのような筋金入りでは決してありませんが、環境問題には関心があるほうです。
20代のころ、よくこのことで悩んだことがあります。
私は、建設業を営んでいます。
道路などの新しいインフラを整備するといことは、環境に対して、いくらかのダメージを与えます。
『自分がやっているビジネスが、環境を傷つけている』
そこだけにフォーカスしてしまうと、もうどんどんと自己嫌悪に陥っていくのです。
しかしあるとき、はたと疑問がわきました。
もし、人がすべての文明を否定し、車、飛行機、インフラ…すべてのことを否定し、環境中心の生き方などできるのだろうかと…。
私は、patagoniaの製品が好きでよく買っています。
環境にやさしい企業として有名ですが、いくら優れたリサイクル製品を作り続けているとしても、環境に負荷など与えないということはないし、もし、本当に心の底から、それを成し遂げたいとするなら、人間そのものが生きるということを否定しなくてはならない…そう思えてきたのです。
結局のところ、やはり人が幸せに生きる…というこのことがもっとも大事なことです。そのために、人は自然から多くのものをいただいている。
そういうことなんだ…とようやく割り切りができるようになってきました。
グレダさんは、大量のCO2を排出する飛行機に乗ることを拒み、ヨットによる移動を考えているようです。
それを実践するグレダさんは本当に筋金に入りの環境実践家だと思います。
しかし、飛行機があったからこそ、多くの人は見聞を広め、人と人とがつながり、世界が一つなのだということを発見してきたものも事実です。
もちろん、これからも努力を続け、より環境に負荷の少ないものを作り出していく必要があります。
グレダさんの生きざまはすばらしい。
でも飛行機があることもすばらしい。
グレダさんの問題提議もしっかりと受け止めつつ、自分たちができることをしっかりとやって幸せな社会の実現に貢献したいと思う『よわい46歳』のおっさんでした。