小京都とか、○○銀座とか、〇〇のコートダジュールとか…
よく、そこの地名を比喩するのに、他の地名を使われることがあります。
他所のひとから言われるのはまだしかたないにしても、地域のひと自らが、それ言っちゃいかんやろーって思います。
相手に自分のところを表現するのに、イメージしやすい言葉なので、ついつい使ってしまいがちですが、そういう言葉を使った時点で、ソコノパクりになってしまうわけですよね。
だから、そういうパクったまちづくりをいくらがんばってやっても、結局そこの地特有のアイデンティティなど産まれるはずなく、ショボくなってしまうのですね。
そこそこのマチに行くと、まるで、どこかの焼き増しのように、ナショナルストアが点在しています。
分かりやすく、便利だと思います。
だけれど、それだけでは、マチはどんどんつまならなくなります。
そこでしか売っていないもの、そこでしか食べれないもの、そこでしか感じられないもの…
なかなかそれを見つけるのは至難の業ですが、でもそのほうが絶対に楽しいです。
もちろん、私自身も京都で学んだり、東京で学んだり、あるいは先日はアメリカにも行ってきましたけど、そこで学びマネをするべきところはたくさんあります。
だけれど、それをそのまま移植するだけなら、結局ナショナルチェーンの焼き増しと何ら変わりません。
ニューヨークスタイルとか、フレンチスタイルとか、その国、その地域特有の文化は確かにあって、確かにかっこいい。だけれどそれをパクるではなく、自分で言えば、ハチ北スタイル、香美スタイル、但馬スタイルっていうものを発信しきたいものです。