以前読んだ本『里山資本主義』は、私にとって、衝撃の一冊でした。
この本の発刊から5年、世の中の景気は、なんとなく上向き加減で推移し、労働人口が急速に減っていて、人財に関しては売りて市場でもあることもあってか、なんとなく里山資本の重要性が、ちょっと軽んぜられているように感じています。
田舎でも『稼ぐ』ことが至上命題のようになっています。
ビジネスの世界に生きている人間が言うのも、まったく説得力を持たないのですが、『お金に振り回されないサブシステムを持つ』という意味を深く教えてくれたあの本は今でも私自身のバイブルとなっていますが、私は果たして、何を学び、何を実践しているのだろうと反省することしきりです。
お金は幸せに生きるための手段であるにもかかわらず、お金を稼ぐことが目的化していっていて、去年より今年、今年より来年とったように、とにかく最大化することに血眼になってしまっています。
しかし、お金を稼ごうとすればするほど、そこからは遠ざかっていっているのは、目的たる『幸せ』というのは、手段たるお金もうけは数ある手段の中の一つでしかないということがまったく理解できていないからなのだろうと思います。
湯船の教え。 pic.twitter.com/wa94tIMnrv
— 木下斉/HitoshiKinoshita (@shoutengai) 2018年5月23日
5月も終盤に入り、山菜の季節は終焉を迎えてはいますが、私たちが何をしなくとも、そんなものがすぐに手に入る環境に生きているということは、やはりすばらしく偉大なことで、何がない、かにがないと嘆き、のたうちま回っているのがなんと愚かなことなんだろうと思う今日この頃。
私たちは、マネーに振り回されなくとも、日々穏やかに生きていけることをもう一度噛みしめたいと思います。