今日は地元の大笹の総会でした。
おそらく、3月の終わりから、4月にかけては、各集落で総会が実施されたことだと思います。
役員改選の年だったのですが、当区においては、前回の役員と変わることのない人事で決定をしました。
そのことについては、私個人としても思うところはありますが、それはまたの機会にお話したいと思います。
さて、ある方がこういう質問をされました。
『大笹区では、祭りでもちつきをやっています。衛生面などを考慮すると、袋にパックされたおもちを購入する方向で考えるという考えはないのでしょうか』
それに対して区長はこのように答えました。
『以前もそういう議論があったけれども、うちの地元では、そうやってみんなが集まってコミュニケーションをはかることが大事だと考えているので今のところは考えていませんが、一度そこは役員で相談はしたいと思います』
このハチ北という地区では総会、道路や河川の草刈り、そのほかもろもろの行事があって、けっこう忙しいです。
地元ハチ北では、区民が会員となっているハチ北観光協会(ハチ北高原自然協会)という組織もあるので、1年をとおしてみるとそれらの行事がけっこうあるのは事実でして、そういったことが負担になっていることは否めず、果たして今後、この集落という単位はどこにむかっていくのだろうとふと考えてしまいました。
かつて、農業や林業が主体で生業を行っていた時代、集落という単位は、『コトをなす』ことに非常に重要な意味がありました。
しかし、時代が代わり、サラリーマン世帯が増え、会社といった組織を基本単位として活動することが増えてきており、また田畑を手放したりする事例も増えてきています。
そうすると、集落という単位での活動をすることの意味が、実生活では、ほとんどなくなってきています。
特に、限界集落という言葉あるように、人口がどんどんと減ってきて集落としての機能が維持できなくなり、集落そのものがなくなってくる事案もいくつか出始めてくると、住人の負担感だけが残って、共同体としての意義がどんどんと薄れていくようになってきました。
地方自治という場合、通常は市町村がその単位になっていますが、私は、自治の基本単位は集落だと思います。
はるか昔から、人々は共同体を形成し、それを単位として、自分たちの生活を守り続けてきました。
しかし、明治以降の農地解放などで、行政の単位に集落をはずしてしまったところから、少しずつ何かが狂いはじめてきているように思います。
山林などで、『地区の山』という言葉があるように、地区が所有する土地というものがあったのですが、登記上ではそれは市町村の取り扱いになっていることからもわかるように、そういう権限を与えなかったために、集落というものの求心力はそこからジョジョに失われてしまったのではないでしょうか。
今、耕作放棄地が広がっていく中にあって、集落を維持するためには、もともとの考え方相互扶助という概念をもう一度見直す必要があると思います。
だからこそ、集落の中で共同で行われる行事を粗末に扱うことなく、そのことを中心に、もう一度、共同体=コミュニティを考え、それがあるから私たちは人と人とのつながりを感じながら幸せな気持ちになっていくのだということをもう一度認識しなければならないと思っています。