再びウルトラマラソンの話題ですいません。
100キロにしろ、120キロにしろ、あれだけの距離を時間をかけて走る人で、ケロッっとした人はごくごくわずかだと思います。
早いランナーも、遅いランナーも、体がボロボロになりながら、さまざまな痛みに悶えながらゴールする人ばかりです。
私個人でいえば、50キロぐらいは、平静を保てたけど、だんだんと苦痛が増してきて、痛みをこらえるのがやっとでした。
そしてまた、ゴールにたどりついても歩くのがやっとだし、寝返りをうっても体が痛むし、水曜日にしてやっと痛みが和らいできた感じです。
客観的に考えてみると、なんでこんな苦しいことをやっちゃうんだろうって思ったりもします。
それは、苦しさから解放されたときに、なんでもないことに喜びを感じる感度が増すということがあると思います。
これってマラソンにとどまらず、生きていくうえで、さまざまな苦労や痛みってあります。
そのときは、どうしようもなく途方にくれてしまいますが、それを乗り越えたときに見える世界は以前とは異なっています。
人のなんでもないやさしさに、これまで以上に癒されたり励まされたりして感度が高まり、喜びの度合いが増幅します。
また、終わりが見えるから、苦しみのゴールも見えるということも耐えられることの一つかもしれません。
ゴールにたどり着いた先の安堵や喜びは、苦しんだからこそというのはやはりあるわけです。
ある美しい女性が
『美しさを保つためには、それなりの努力が必要です。食事を制限したり、トレーニングをしたり、またエステなどにも通ったり、何もしないで手に入れられる人はそれをずっと続けることなどできないのです』
という趣旨のことを話されていました。
どんなことでも、手に入れるためには、相応の何かが必要ということですね。
120キロを制覇した人には、私のような凡人には手に入れることができないまた違った次元の喜びを手に入れているはずです。
深い喜びを得るためには、相応の苦しみが伴う…
そこには覚悟が必要ですね。