昨日は、万灯(まんどう)。
これまた、100年以上は続いている伝統の行事です。
とはいいながら、昨日の参加者は、子供6名、大人6名で、しめやかに行いました。
うちの村の少し小高いところに、愛宕神社(とはいっても小さな祠(ほこら)があるだけなんですが…)があって、7月24日、8月24日の2回実施しています。
100年以上続く行事とはいうものの、かなり形骸化していて、
どのような経緯でやることになったのか
なぜやっているのか
そういったことを地域の先輩に尋ねてみても、明確に答えられるひとはいないんですね。
実はこれって非常に危険なことだなぁと若干の危惧をしています。
『愛宕神社』とか『』火祭りとか『万灯』とか、そういうものを検索すると全国各地で、それにちなんだ行事が行われていますね。
昨日も、湯村で『火祭り』が行われていましたし、出石伊福部神社では8月24日の直近の日曜日の実施とネットでも表示されますね。
そういったところの記事を読み込むと、その行事の歴史背景が読み取れるので、大笹の万灯もそのあたりから推測するしかありません。
昔、人々は祈ることを通じて、生活の安定をはかってきました。
科学技術や情報が進歩した現在、どんどんと軽んぜられています。
私自身も、昔は軽んじてました。
しかし世の中には、神や仏の仕業とかしか思えないような事象が数多く存在し、それはとても大事なことだなぁと思うようになりました。
また、単に祈りをささげるのではなくて、その宗教儀礼を通じて、例えば協働で作業をすることによるコミュニティの強化とか、人としての礼節を学ぶとかそれによって得られる数多くのものも存在することに気づきました。
だから、地域コミュニティが衰退しているのは、ひょっとすると、そういった地域の伝統的な行事を軽んじてきた結果なのかもしれません。
一つ一つの行事をこなすのは決して楽ではありません。しかし、その行事がなぜ続いてきたのか、まずはその理由を明確にして、きっちりとやり遂げるようにしていく努力を今後もする必要があります。