まずは自分が寛容になろう | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

ニュースなどを見ていると、偏見と憎悪が渦巻き、国という単位で、お互いを罵り合ったり、貶めたりすることが日常的になっているような感じがします。

 

某国のように、一人の独裁者が支配しているような国もあるけれど、だいたいにして、さまざまな価値感をもった人やグループが常にうごめきあって、モノゴトがなりたっています。

 

優れたモノやサービスは、特定の国などおかまいなしに、国を飛び越え世界を席巻し、大きな企業では、何十万人という雇用があるような企業もあったりして、そんな単位なら、人数的にも、動いているお金も小国を軽く飛び越えてしまったりしています。

 

そんな世の中を見るにつけ、もちろん、地域とか国家といった枠組みはとても重要だけれど、結局のところは、その個人が、どういったアイデンティティーをもって生きていくかが重要な時代なのだなぁとしみじみと思うわけです。

 

あるモノゴトについては、価値を共有できても、違う一面では、まったく価値が共有できないということは人であれば当たり前なわけです。

 

ちょっとたとえが悪いかもしれないけれど、トヨタの車が好き人もいれば、日産を愛してやまない人もいます。

 

一方、スマホはアップルだと思っている人もいれば、いやいややっぱアンドロイドでしょ?って思っている人もいる。

 

二つをかけ合わせれば、4通りのし好をもった人が存在します。

 

そんなわけで、そういったさまざまな価値感をかけあわせていくと、70憶人の人がいれば、それぞれが思う価値観は、70憶通りの組み合わせがあるのですよね。

 

そうやって多様性があるのが今の世の中ということですね。

自分はトヨタが好きだからと言って、日産を好きな人を罵倒するのはおかしいわけです。

 

罵倒すれば、相手も、トヨタが好きなんておかしんじゃないの?

 

ってさらに罵倒し、そんな連鎖で批判の応酬合戦のような世の中が形成されているような気がするのです。


自分が正しいと信じるモノは大事にしながら、一方でそれと異なるものを排除するような世の中は、ならば、もう優秀な人のいいところだけを寄せ集めて、クローンをつくってみんなおんなじにしてまえーみたいな感じにもなってきているような気がします。

 

弱いところも含めて人間で、それをそれとして認めるところに人としてのかわいらしさがあったりするわけです。

 

まずは自分から多様な世の中に対して、寛容になれるようにしていきたいです。

 

人を貶めることで自分の存在を誇示することはもううんざりです…