
昨日の続きのお話しです。
皆さんが思われる『土木』というと、どういうイメージでしょうか?
今、世間の人が思われるイメージには大きく分けて、二つあると思います。
一つは、社会を支えるインフラ。
道路、橋梁、ダム、トンネル、水道、下水道、空港、港湾…など、社会生活を営む上で、重要なもの。
こちらはポジティブなほうですね。
もう一つは、自然にダメージを与えていくもの…。
自然を破壊し、生態系がもとに戻らなくなってしまったというお話は枚挙にいとまがありません。
おそらく、このテーマは永遠に続くのだろうと思います。
しかし、おそらく間違いなくほとんど日本人で、これらインフラの恩恵を受けていない人はいません。
そして、世界の人々もまた、国によって程度の差こそあれど、これらの恩恵に属していない人はいません。
もし、土木がネガティブなものとしてとらえられるならば、原住民のような生活を余儀なくされるでしょう。
世界中にあまたある企業も、ビジネスとして存在している以上、これらの恩恵に少なくとも預かっているわけで、土木の存在を否定しかしないのなら、それはビジネスとしてうそを言っていることになります。
どこまで、インフラを充実させるべきなのか?という議論も、ポジティブな立場、ネガティブな立場両方存在します。
私の会社は、土木も行っている会社ですから、ポジティブな意見に偏ってしまうところはありますが、私個人としては常に中立でありたいと思っています。
さて、今回の土木学会の会長のお話しでもっとも心をうった言葉あります。
『私は、土木というものは、自然の営みの中で生きる人間が、国土に働きかけて、国土から恵みを得るもの』
私は、正直、土木学会の会長たるもの、自然と対立して生きることを旨としているのだとばかり思っていました。
しかし、会長は、自然をリスペクトしたうえで、それらを拝借しながら事業をさせていただくという思いをおもちだったのです。
あぁやはり日本の土木学会の会長というのは、そういう森羅万象の中で生かせていただいているということを自覚されているんだなぁと
その言葉を聞いてうれしくなりました。
そうなんですよね。
今の社会、特に政治の世界では、何かを一方的に攻撃するような風潮があります。
そうではないんですよね。
人も自然の一部であり、それらを享受させていただきながら、人間も少しだけわがままを言わせていただく。
そんな感覚なのです。
私は常に自然に対する謙虚さを人間が忘れてはいけないと思います。
土木という巨大な力を手に入れてもなお、わたしたちは、その謙虚さを持ち合わせていなければいけません。
インフラは数十年もすると、さも昔から当然にあったもののように思うことがあります。
しかし、決してそうではない。
まさに『自然の恵みをいただいてできあがった』ものなのです。