
私は言える 派!
同じ景色を見ても
同じ音を聞いても
同じ状況になっても
感じ方、捉え方は人それぞれです。
本能寺の変が起こったとき
羽柴秀吉は激しく取り乱し、
徳川家康は「もはやここまで。」と切腹しようとします。
その際に
羽柴秀吉には軍師の黒田官兵衛
徳川家康には家臣の本多忠勝が
「急ぎ軍を挙げて明智光秀を討ちましょう。光秀を討った者が天下人ですよ。」
というような意味合いのことを告げます。
結局、羽柴秀吉が明智光秀を討って天下人となるわけですが
秀吉は官兵衛のことを「油断のならない恐ろしいヤツ。」と見て疎遠にし、
家康は忠勝のことを「機を見るに敏な立派な家臣。」と見て重用します。
同じことを言ったとしても、聞き側の事情で受け取り方が違ってしまうんですよね。
逆に、話し側も話し側の事情によって話し方が違ってしまいますよね。
特に大きな部分を占めるのは
相手の気持ちを勝手に斟酌する。
ということではないでしょうか?
こんなことを言ったら相手は気分を悪くするんじゃないか。
あんなことを言ったら相手は怒り出すんじゃないだろうか。
と、言う前から考えてしまうこともあると思います。
コチラはコチラの事情で言い方を変えたとしても、
相手は相手の事情で捉え方が変えるので、
コチラが相手のことを考えて言い方を変えたとしても意味が無いんですよね。
ほとんど答えを言ってしまいましたが、
お題『お金返してって言える?』については
言える
を選びました。
コチラはコチラの事情だけで相手に伝える。
相手がどう捉えるかは相手次第です。
貸したお金を返してもらうのは当然の行為です。
貸してもいないのに「返して。」って言うのとは訳が違います。

