好きな戦国武将は? | 関(仮名)の価値化ブログ

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好きな戦国武将は? 好きな戦国武将は?


日本人の好きな歴史上の人物というと
坂本竜馬か織田信長
が1位、2位を争うことになるでしょうか。

どちらも、それまでの日本には無かった思考で日本を駆け巡った偉人ですが
その両人に勝るとも劣らない人物がいます。

その人は、
私が「好きな」というよりも、尊敬する戦国武将としてですが
六角定頼です。

戦国の世で生き残るには
部下の忠誠心を維持するための経済的な裏付け。
兵隊を常に補充するシステム。
兵士を機動的に動かせるシステム。
がなければいけません。
これらの分野で隣国より優れていれば生き残り、
劣っていれば滅亡ですから
如何に素早く相手の良い点を模倣して
しかも、さらに改良出来るか?
が勝負の勘どころの時代です。


武田信玄は”寄親・寄子制”というのを制定して兵士を補充するシステムを作ったのですが、元々は今川義元の模倣+改良をしたものですし、
徳川家康が行った諸制度も信玄の模倣+改良をしたものです。

だからといって信玄や家康が悪いというのではありません。
模倣+改良が時代の流れですから、多いに真似をすべきですし、
凝り固まった思考で滅亡していく大名が多い中で、他人の優れた部分を素直に受け入れていける器の大きさは流石です。


それでは、模倣の上流を探していくと誰になるのか?と考えると
私は、六角定頼だと思います。

南近江の狭い領地でありながら東山道、八風街道の通行に対して課税することで財政的裏付けを得る。
家臣団を本拠地の観音寺城に集めて中央指導体制を作った。
楽市楽座というと織田信長が有名ですが、楽市令を出して観音寺城下を一大商業都市にした。
それまで金で雇う傭兵だった足軽を領内で組織した。

一見すると信長がやったことのように見えますが
全て六角定頼が行った事業です。


信長は、織田包囲網に苦しめられますが
定頼も、細川、土岐、北畠、武田(信豊)、本願寺、浅井の包囲網に苦しみます。

信長は、将軍・義昭を奉じて上洛
定頼も、将軍・義晴を奉じて上洛
と将軍を擁立して上洛したのも同じです。

しかも、信長の官位はいろいろ変っているので一つに決められませんが弾正忠(だんじょうのちゅう)
定頼の官位も弾正忠でした。

定頼の生年が1494年で、信長の生年が1534年
40年前の信長が定頼。40年後の定頼が信長。
と言えそうなほど似ているのです。

信長が革新的と言われる40年も前に同じことを行った定頼もまた革新的な大名だと思うのです。



ちなみに
六角定頼の本拠地だった観音寺城の住所は、今の滋賀県蒲生郡安土町
その1kmほど西に、信長が作った安土城跡があるもの
何かの因縁じゃないかと思うんです。