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幕末(1864年)の禁門の変(蛤御門の変)で長州軍と戦った西郷隆盛は
「長州は金持ちでごあんど、撃っても撃っても弾は無くなりもはん。進みもんそ。」
と言って躊躇する薩摩軍の先頭をグングン進んでいったそうです。
何で長州藩は金持ちだったのか?という番組を以前NHKでやってました。
1600年に関が原の戦いで負けた毛利家の領地は
120万5000石から29万8000石に減封されてしまいました。
この時、ほとんどの家臣がついてきたために
29万石の領地で120万石分の領地収入を上げる必要がありました。
そのために、武芸に秀でた家臣よりも内政に秀でた家臣を多く取り立て
田畑の開墾、畝での商品作物の栽培、お金になる木の植樹、港の開港・整備etc.etc.
江戸時代は徹底的な財政改革に努めていきました。
この藩風が264年も続いていたため幕府の賦役や参勤交代の負担にも耐えられ無駄遣いもせず、
幕末には撃っても撃っても弾が無くならないほどの貯えがあったそうです。
対する薩摩藩も関が原の戦いで負けて以来幕府に目を付けられていました。
そのため薩摩藩は
領内に他藩の人間を入れることは絶対に禁止。
薩摩藩の剣法である示現流を他藩の者に教えることはもちろん、見せることも禁止。
言葉も他藩の者には理解出来ないように作り変え。
とイロイロな防衛策を取りました。
その345年後
太平洋戦争中に日本軍の暗号は次々とアメリカ軍によって解読されていきました。
日本軍は困ってしまいましたが、
どうせバレるならいっそ・・・・と薩摩弁で話をするようにしたところ
アメリカ軍は全く解読出来なかったそうです。
何が言いたいのかと言うと
良いことも悪いことも習慣になってしまうと変革するのは難しい。
ということなんです。
揮発油税に対して民主党の言い分としては、
何十年も暫定税率であり続けているのはおかしい。
無駄な道路が作られ続けている。
新規に道路が作られているのは自民党の大物政治家の地元ばかり。
官僚が無駄遣いしている。
ということです。
確かにその通りだとは思いますが
だからと言っていきなりゼロにするのはより悪い結果をもたらしかねないような気がするのです。
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