全国の高校で、生徒に必修科目を履修させていなかったことが相次いで明るみに出ている問題について、伊吹文明文部科学相は27日の閣議後会見で「未履修だった生徒に責任はないが、学習指導要領に従った授業を受けた生徒との不公平が生じてはならない」と指摘。「卒業証書を渡すまでに、決められた時間の授業はするべきだ」と、現3年生の卒業に特別の救済措置を取るのは困難との考えを示した。
具体的には「極端な負担があってはいけない。3月末までに、集中的に授業すれば(履修は)可能。卒業式の日程などは調整すればいい」と述べた。
「不公平が生じてはならない」ですか?
韓非子には「信賞必罰」という話が書かれてます。
企業は提供する賞品やサービス、企業姿勢等々を消費者や投資家の評価に日々晒されているワケです。
新卒の学生は企業に評価されて採用・不採用が決められてます。
大学進学をする高校生は大学の評価を受けて入学します。
中学生は高校の、
小学生は中学の評価を受けて入学しているんですよ。
『公平な社会』っていうものは
多くの評価する人間と多くの評価を受けようとする人間が存在するから成り立つんじゃないですか?
評価という言葉を審判と言い換えたら分かり易いでしょうか?
審判をする人が審判することを放棄する。
審判される人が審判されることを放棄する。
そんな状態になれば、当然『不公平な世の中』になるし、
その『不公平』のしわ寄せは一部の人間に集中して現れるんですよ。
結局『不公平な世の中』って「しわ寄せのババ抜き」なんですよ。
学校を審判することを放棄している教育委員会。
教育委員会を審判していない文部科学省。
文部科学省や学習指導要領を審判していない政治家。
政治家を審判するための選挙に行かない大人たち。
高校生の中には学校を批判している人間がいるけども
つまるトコロ、本当に批判しないといけないのは自分自身の親なんじゃないのかな?
話を未履修に戻しますが
高校は補習をすべきでしょう。
土曜日や日曜日、冬休みを全部使ってでも補習をすべきでしょう。
ただ・・・・
日本史Aの補習中に生徒が先生に隠れて英語や数学の勉強をしていたり、
冬休みに3年生全員が突然風邪をひいて学校に来れなくなるかもしれないですけどね。
「そんな補習は問題だ。」というのなら
そんな学校や教師、学生たちを、それなりの立場の人がキッチリと審判してください。
その後、その立場の人に世間がどんな審判するか分かりませんが。
「常なる評価」
「常なる審判」
「常なる信賞必罰」
今までソレらを放棄してきた人間が語る公平・不公平など全く意味が無い。
ということは
「日本史A」を勉強することより遥かに重要だと思いますよ。