夏休みは緩々でいきます。
緩々って言っても普段プラスαくらいします。暇で死にそうです。
実質的な日数は僕の場合31日。いや、今日の時点では後29日。やばいです。
でも、本当の時間って実質的に勉強に回せる時間だけではないと思う。
勉強の手法や時間配分をを休みの日に考えると、本質的にはその時間は勉強時間といえるのではないか?もしそうとは言えなかったとしても生きた時間であることは間違いない。
僕の場合、生きた時間と死んだ時間という観点から見ていこうと思う。
たとえば睡眠時間だって勉強時間ではないけれど勉強するためには必要な時間だし、遊ぶ時間だってモチベーション維持のためには欠かせない。だったらその時間は生きた時間なのだ。
大昔の話だが、ある国が大国と戦争をした。国力に差があったが負けない戦いは可能だった。しかし、その国は負けた。限られた資源をさらに無駄遣いしたのだ。兵站の必要性の認識が足りなかったと言えよう。
この例は僕にも当てはまるはずだ。時間は限られている。如何に死んだ時間をつぶしていくか。それが問題なのだ。
本当の時間は死んだ時間を限りなく小さくしたときにこそ獲得できるのだ。