2015年8月30日に最愛の母が旅立ちました。


私は幸いにも自宅でその瞬間を看取る事ができました。

とても辛い瞬間でしたけど、後になればなるほど、立ち会えてよかったと思えます。


葬儀は家族だけで執り行ないました。


鹿児島出身の母は今も鹿児島にきょうだいがいますが高齢ゆえ上京はできませんでした。


そんな中
都内に住む私の従兄弟夫婦が駆けつけてくれたのです。

この従兄弟は母にそっくりな母の妹の子供。


母の身内代表!

私はきょうだいがいないので、従兄弟の弔問はうれしく心強くもありました。


葬儀は家族葬専門の式場で祭壇は作らず棺をお花でデコってもらいました。

そしてクリスタルの祭壇用飾り棚に遺影を飾りました。


菩提寺はないので僧侶は呼びません。

実は私、お経をあげられます。
仏教の最高経典とされる法華経を読誦。


その後、亡くなってから急遽、母の生涯を簡単に編集したDVDを、式場のプロジェクターに写し出してみなで母を偲びました。


その夜は棺のお隣りのお部屋で食事をし、その後も子どもたちと遅くまで母の思い出を語りあい、棺の周りにお布団を敷き、母を取り囲むようにして仮眠しました。


母との最後の夜の思い出です。


翌日、棺に皆でお花を敷き詰めて市営火葬場へ移動(車で10分ほど)、荼毘に付しました。


母を自宅から式場に移動させる時は雨、お通夜も雨…

あれは、
まるで行きたくないよ、と母の涙だったのかな?

そして、みんなの涙の雨…


遺骨になった日は打って変わって抜けるような青空!

まるで、母の笑顔のような快晴でした。


頬を伝う涙をそっと、風がふいてくれました。

風になった母だったのでしょう…



私は最高のお別れができたと思います。



いずれ、同居の義父母を見送る事になります。

このスタイルを踏襲しようと思っています。


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