逡巡②はこちら
義母は多系統萎縮症と診断されてから、その現実を受け入れる事ができませんでした。
「なんで、こんな病気になってしもうたんか、、」
という悲嘆。
そして人の手を煩わせる事に対する申し訳なさ
自分の事で精一杯で、人の人のために何も出来ない事への苛立ちと自虐
このような思いが殆どで、自身を卑下していました。
極めてネガティブな義母ですが、同居してからはなんとか考え方を変えてもらえるように励まし続けてきました。
病気になった事は、どうしようもない事実。
そのうえで出来る事、楽しみを見つけて生きて欲しい
マイナスな要因でも考え方を変えてプラスにして欲しい
そう願ってきました。
しかしこの度、誤嚥性肺炎によって引き起こされた排尿障害と障害者手帳2級認定、そして要介護度5になりました。
義父の入院に伴い、やっかいな人から解放されて、義母は少しづつ前向きになっていた矢先の事でした。
元来、義母は体の不自由な事、障害などに対する意識が
かわいそう
みっともない
恥ずかしい
という感覚なのです。
パラリンピックなど、義母にはとても理解出来ない事なのです。
「なんで、あんなにまでなっちょるのに、人前にでらないかんかねぇ…」
と言っていたくらいですから…
(お体の不自由な方、ならびにそのご家族の方、お気を悪くされた様でしたら申し訳ありまん)
それが九州の片田舎から一歩も出た事がない、義母の世界観、人生観なのです。
80年以上生きてきて、そう簡単に考えを変えられるものではありません。
私は義母を自宅で看取るつもりでいましたが
義母がこの先、多系統萎縮症による病状が進み、世話になる事が苦痛であるなら…
そんな状態の中、孫やひ孫が自宅に幾度となく訪れる事に、幸せを感じないのなら…
施設という選択肢も加えざるを得ません。
もう一度、義母の気持ちを丁寧に聞き出して、お互い納得が行くように次のステージを作っていかなくてはと思っています。
逡巡・完
植木じゃないよ(笑)
ムースのうえに砕いたクッキーです
茶茶子
