カープに関しては現地観戦記だけにしようと思っていたのですが…
あれやこれやお節介的に書きたくなる。
お節介と言う悪い病気が騒ぎ出す。
ビールかけにゃ早すぎる…よ…
またビジター席でイザコザがあったみたいですね。
Twitterと言う厄介な拡散サイトで目にしました。
イザコザの原因は球団の経営方針にあると思う。
というよりも…
新球場になってから、広報やマネジメントは三井物産だと耳にした事もある。
私も地方のメーカー勤務ですが、数年前に買収され今は大手財閥グループの完全に傘下となっている。
だから…
松田一族の立場も理解できる。
前置きは、それくらいにして。
私とカープ。
と言うお題で書かせて貰おう。
私の入社は1991年の4月
この年はカープが劇的な大逆転の末の6度目のリーグ優勝を飾ったシーズンです。
大野投手が阪神のフルヤ選手から三振を奪い
山本浩二監督が宙に舞い
グランドで野村謙二郎選手がビール箱の上に立ち音頭を取ってのビールかけは今でも覚えてます。
この年は私もルーキーイヤーの為、夜な夜な広島へ出る事は出来なかった為、家のテレビの前で涙してました。
それから続く低迷期…
私も仕事が嫌で嫌で行きたくなかった時期。
いくら頑張っても金にならない劣等感だらけの日々。
そんないつ逃げ出してもオカシクない現状を打破してくれたのが広島東洋カープの存在でした。
古臭い客も疎らな球場でユニフォームを泥だらけにしてガムシャラに頑張るカープの選手…
野次も沢山放った…
野村選手に前田選手に江藤選手に金本選手…
新井も入り
佐々岡投手に代わるエースとして力を発揮してくれた黒田投手
役者が揃ったと思った矢先のFA問題。
人生とは思い通りに上手くに回らないと改めて感じました。
それでも残った選手の諦めない姿勢。
結果じゃない過程が大切なんだと教えて貰ったのはカープからでした。
時は過ぎ二連覇の常勝チーム
現時点でも首位
讀賣以外果たしていない夢の三連覇
ファンが水を差す事だけは絶対にしてはいけない。
そんな私を助けてくれたカープを安く扱われる事が情けない…
私の現状は?と言うと…
入社28年目の春
今のカープには何も文句もありません。
有難うの言葉しかありません。
ただ…カープファンの行動に嫌気がさしてきた同様…
社会人生活も嫌気がさし諦めムードの惰性で過ごしております。