外国語を学ぶってこと | どこのドイツのめーやんです

どこのドイツのめーやんです

アメリカ、台湾、コソボ、北極圏の生活を経て、2013年からドイツ在住、単身赴任中のドイツ人オットぼるおと時々2人生活満喫中。
潜在数秘術®と筆跡診断をつかっていろいろやってます。

外国語(特に英語)を覚えるのは大変、しんどいってこと良くききます。
私も高校の時、いわゆる大学受験のための英語に四苦八苦し、テストではひどい点数とりまくりでした。でも、言語としての英語(母国語以外のコトバ)は大好きで、辞書を見るのが大好きでした。

コトバ自体の成り立ち、文章の表現、色々詰め込んであってね。なんだ、これそのまま、英語母国語者に使って試したらいいじゃん!!っておもってたから・・。もちろんそれをまともに使って「何その表現、何百年前の表現だよ」って教えてもらい、あ、辞書は、あくまで参考にする程度で、今の実際に使われているコトバと違うんだって辞書をうのみにしないことも教わりました・・それは国語辞典でも言えることですけどね。

そういった言語オタクなワタシは、最初とことんオタク度を深めようと、外国語大学へ行き、言語学を学び、交換留学先でも言語学と文化人類学を学び、米国大学院に行ってずーっと言語まみれの人生を送りたいって思いで、留学時代の教授の推薦状もとり、帰国しました。

が、うちの家族は大反対!!田舎の日本の伝統的「思考」の家族・・女性がこれ以上の知識をつけてどうするの?? 嫁の貰い手がなくなる・・と。ワタシ、一旦決めると超頑固なので、ハンガーストライキもどきまで行って、両親に対抗したんだけど、やっぱり経済的な問題を言われ、自分がほんまに行きたいんやったら自分で稼いでいかなね・・と最終的に、就職の道を選びました。

それ以来、色んな業界、色んな職業を今まで経験しましたが、一つものすごく不思議なのが、かならずどの環境にいっても「英語(外国語)」の仕事を任されたこと。大阪在住時、阪神大震災にあい、一時期実家(兵庫の山奥)にもどり地元の役場でアルバイトをしてたことがあります。その時勤務してたのが、いわゆる老人福祉に携わる課で、毎日おじいちゃん、おばあちゃん、そして介護されているご家族やヘルパーさんとお話することが多い場所。全く英語なんて・・って環境でしょ??

それがね、まずヘルパーさんと話してて、「うちの子どもが英語苦手でどうにかしたい」って相談をたまたま受けて、じゃぁ、ちょっと教えましょか??ってことで、家庭教師をはじめ、あとは英語話したいっていう小学生のお子さんをもつヘルパーさんの依頼を受けて、簡単な出張英会話教室をしたり・・。

最終的には、別の部門である「教育委員会」から声かけていただいて、地元中学校に来てる外国人の先生のお世話をしたり、姉妹都市提携してるアメリカへ地元和太鼓団を派遣する時のコーディネーターしたり・・・って、ほんとびっくりするぐらいの役割をいただいてね。

そのころから「ワタシ」は「英語(日本語以外のコトバ)」というツールを使ってみんなを助ける役割なんだなぁ・・とぼんやりおもってました。

あと「教える」ってことも・・。良く言われたんです、分かりやすい教え方やから先生に向いてるよね!!、なんでやらないのって・・。

私は先生っていう職業にはあんまり興味なくってね・・都度都度教えてほしいって、助けてほしいっていう人の手助けになればっておもってたから、「先生」「生徒」って役割に抵抗がありました。

たぶん、先生って「コトバ」にとらわれてたんだとおもいます。今は、先生ってよばれよーが、なんだろうが、教えてほしいっていわれれば、喜んで教えます~♪♪

そんなこんなで今にいたります・・

そして、私の中での「コトバ」って・・。
ワタシ良くカタカナで単語を書くことがあるんだけど、それは
コトバって意味ではなく「音のつながり」であることを思いだすため。
<全く知らない外国語を聞くと、音楽のようにきける、そんな感覚>

コトバのイメージ、その意味ってそれを発する人、受け取る人、そしてそれを味わう
タイミングのフィルタによって全く違うものになってしまう。

だから、自分が理解してる「コトバ」は、自分が理解してるのと全く同じ理解で相手には伝わってないことを最初からわかってるんであれば、「誤解です!!」とか、「私のこと分かってもらえない!!」ってことでイライラしない・・。だって違うんだもん~♪♪ 逆に言うとね、違って当たり前だから、わかってもらえたこと、少しでも自分の感覚と共感が味わえたのであれば、それは感謝であって、とっても喜ばしいことなんです!!

自分の母国語と違うコトバを使うことは、それがダイレクトに体感できます!!
だから私は自分の母国語以外のコトバを使うことは大賛成です。。。。知識云々じゃなくて、その伝わることの感謝をダイレクトに感じるってことで・・

そして、コトバアソビすることによって新たな発見もあり、
今読んでる「タオコード」も「タオ」ってコトバを暗号にして伝えようとした本当の意味についての
本であることを考えると、わ、つながってるな・・と。

で、今朝、寝起きに夢うつつででてきた、本日のコトバアソビの御題目

「使命」と「運命」(英語では「Calling」と「Destiny(代表的なもの)」)

私の個人的な解釈をちりばめてるので、ご参考程度に!!

「使命」:命がどう使われるか、どう使いたいか‥この世での役割かなぁと私は認識してます。
英語でのCallingは、前にGodがつきます。。また出てきました、「神」!! 
ま、直訳すると神がここにワタシを呼んでいるってかんじですね
ちなみに「Nature Calls me(自然がワタシを呼ぶ)= トイレに行く」です!
トイレをあらわす「便所」も「お便り所」と考えれば「身体のなかの色々を”お便り”にして届けてくれる場所」なので汚い場所ではなく、神聖な場所ですよね・・ありがたやー♪♪

「運命」:命をどう運ぶか(運ばれるか)‥と考えると「運命は変えられる」ってのが腑に落ちました。ちなみに英語の Destiniyは「Destinare(ラテン語)」が語源です。「De(下に)+Stinare(立たせる)」→ 神の下に立つ。。神の下にある だそうです。やっぱ「神」はいってますね。

そんなこんなで長々とワタシガタリに、おつきあいありがとーございました!!