まりこおねえちゃん。 | たかはしごうの「がむしゃら」でいこうぜ!

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曲を作ったり、バナナギャングスのヴォーカルをしたり、、エレキヴァイオリンを少し弾いたり、ダンスのインストラクターをしてみたり、音楽や踊りで、「元気なにっぽん」になってほしい!そんな、「平成 小林亜星」を目指す!たかはしごうのブログです!

今朝電話があったんだ。
福島県いわき市に住む、
父の兄の長女、
まりこおねえちゃんから。


父はいわき市出身。
母もいわき市出身。
僕の血は120%福島いわきの血で出来ています。

「ごうちゃん。
いわきのまりこだよ」

なんか、声聞いて泣いてしまった。

父を心配しての電話だった。

「おじちゃん(父のことね)、入院したって聞いてそれから何も連絡がないから、
なんか、こんな時期もあって電話しちゃった」と。

もう退院したことと、まりこおねえちゃんの事と、
最近の事と、
ちょっとの間、
濃いお話が出来た。

「まりこおねえちゃんは元気?」

「ついこの間5年前から、
まだまだ復興が進まないなか、
今回だから、なんだかずっと、
気持ちは浮かないね。かわいそうだわ、今度は九州がさ。」

そんななか、父への心配の電話、有難かった。

まりこおねえちゃんは、憧れのお姉ちゃん。

若い頃は福島でほとんど走ってない、beetle乗って、何度も福島の海に連れていってくれた。
洋服もいつもオシャレで、
顔立ちも少し日本人ぽくない美人さん。


ドイツの方と結婚して、
ドイツと福島行ったり来たり。
2人の子供たちと4人暮らしから、
5年前、
震災の後ずっと連絡が取れなかったのがまりこおねえちゃんと家族だ。

海沿いに住んでたこともあったり、
携帯電話がほとんど繋がらなかったので、


もしかしたら、


もしかしたら、


と心配のなか、
何日かして無事だったことがわかり、
ホッとしたあのココロはつい最近と思っていたが。


5年前。

世界的に有名になってしまった、
「FUKUSHIMA」。
ドイツの旦那さんのご家族だって、
ドイツに帰ってきて欲しいと思っていたと思います。

しばらくドイツ。
でも福島に戻って今は生活しています。

まだまだ復興は完璧じゃない。

時は経つ。

そして、また倒れても、
また立ち上がる。

東京オリンピック&パラリンピックをやめたら、という人もいる。

僕はわからない。

ただ、
家族の声が嬉しくて、


前に進まなきゃいけないことは、


どの時代もいっしょなんだと、
思ってます。


まりこおねえちゃんに、
現在の父の事は話したけど、
母の現状はなんだか言えなかった。
父の携帯番号教えたから、
その後父と電話してると思うけど…。

父は母の様子は伝えたかな?…

5年前は親身に福島、東北を心配していた母は、今回の九州の事、わかっているのかな?

何れにせよ、
来週は両親に会ってきます。

まりこおねえちゃんの声は、
何年経っても、
優しい声だった。