日本の世直しには、まず…
読者の皆様、こんばんは。
お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか?
ようやく暑さも落ち着き、過ごしやすい季節になりましたね。
でも風邪がちらほらと流行っているそうで、マスク着用、人ごみに行かない、帰宅したらうがいと手洗いは必須ですね。私も気を付けます。
「日本の世直し」。これを何度も当ブログの中で申し上げています。
現在の段階でこれに込められているメッセージは、 『日本人が今よりも自国の歴史・伝統・文化を知り、誇りを持って、日本を創りあげていこう!』ということです。
「日本ってやっぱりダメだなぁ…」
ニュースを見れば暗い話ばっかり、お先真っ暗、明日にでも日本は潰れるみたいなことばかり。
それがニュースだけの話であればいいのですが、それに影響を受けて人々がそういうことを日常会話に出して、どんどん伝染していってしまい、それが本当のようになりつつあるようにも思えます。
『現在』だけ見れば、確かに暗い世の中かもしれません。
でも『過去』はどうだったのでしょうか?それも現在からさかのぼって50年だけではなく、日本という国の成立までさかのぼって見ていくと、決して最初からお先真っ暗な国ではないと思います。
逆にいつも明るい国だったというわけでもなく、苦しい時期も当然ありました。しかし、苦難を乗り越えて「日本」という国号は成立から現在までずっと続いてきました。
(見えにくいと思いますので、画像をクリックすると拡大されて見ることができます。)
義務教育の中で日本史の学習をしてきたと思いますが、日本は幾度となく国難を迎えています。
しかし、いつの時代もそれを乗り越えてきています。これだけ長い歴史を紡いできた日本(ちなみに我が国は現存する中で最古の国家)は、苦難に立ち向かい克服する術を歴史として刻んで蓄積してきており、国難に打ち勝つことは世界で一番得意としているはずで、むしろそれが日本人の誇るべき民族性のひとつであると思います。
したがって、大地震の復旧・復興、原発事故など、現在にある問題を必ず乗り越えることができると私は確信しています。
これらの問題を乗り越えるのは一部の人だけでは無理があります。約1億2千万人の日本人が考え、一致団結して、行動しなければ変えていくことはできません。
そして今の日本には戦後復興のあとの高度経済成長における所得増大などのような『国家目的(国民が総力を挙げてつくりあげるべき国の姿)』が見えていません。だから今の日本には未来にかける想いというのがなく、何でもやることが後手になり、その場限りの判断と行動、いきあたりばったり。
私はこの国の目指すべき国家像というものを、日本人みんなで考えて、決めて、行動に移して、その目指すところへ向かうことの火付け役になりたい、これが世直しの一つだと思っています。
しかし、私はまだまだこうして発する言葉が具体的でなく、うまく伝わっているとは思いません。なぜなら、それは言葉の定義や意味付けということができていないからです。
たとえば「世直し」という言葉。
今、私の目の前にどなたでも来られて「世直しとは何か?/世直しとなるのはなぜだろうか?/世直しは何をすることなのか?」と言われても、自分も相手も納得する答えを導くことは現在の段階では難しいです。
つまり、それは普段から自分が発する言葉というものは勝手な思い込みとイメージでつくりあげられたものに過ぎないからです。さらに言えば、何も考えていないということです。
言葉こそは格好良くて、いかにも高尚に見えるかもしれないけれど、感覚だとかニュアンスだけで伝わればいいと口にして、聞いた人それぞれが意味の捉え違いをしてはその言葉というものが独り歩きしているだけ。
人は言葉によってコミュニケーションをとっています。会話の中で言葉の意味というものを互いに無意識にとらえながら会話が成立しているのが日常です。
意識してみてください。単語一つとっても定義や意味というものは人それぞれバラバラのはずです。それでもってニュアンスだけで話し、聞いているということになると表面上は会話が成立しているように見えますが、深く会話を掘り下げていくと言葉の意味に食い違いがあるということがあると思います。
独特な表現、話し手にしかわからない表現がでてきたときは流したり、あやふやなまま納得せずに「どういう意味?」と聞きかえすことというのがミスのないコミュニケーションをとるうえで重要なことだと思います。
「世直し」という言葉も、独特な表現であり、話し手である私にしかわからない表現です。だから、相手に聞かれる前にその意味をきちんと用意しておく。その目の前の相手に分かる言葉で。
「世」とは何か?「直す」とは何で、「世直し」とはどういう状態なのか?
今回の記事のタイトルは「日本の世直しには、まず」とありますが、世直しをはじめるうえで「世直し」の定義をきちんとかためることが、世直しの第一歩であると私は考えます。
以前にも申し上げました通り、このブログは「日本の世直し」に向けたプロセスを描くものです。考えたことをあますところなくブログという場をお借りして社会全体に述べていき、自分の考えを訴えかけていくものです。
このブログの開設した目的に従って、次回のブログより、「世直しの定義」をテーマに、世直しのそもそもの定義を文献を中心に考察していきます。とても長い記事になると思いますので、区切りのいいところで区切る形でシリーズものにして掲載させていただきます。
長い文章でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
【あなたの町に水戸黄門が行く】
*********************************************
現代版・水戸黄門になって
日本を世直しする、その道のり(思考とその過程、行動)を綴ります!!
読者になってくださる方を募集してます!!
もちろん助さん、格さんも募集してますよ★
Follow me!!
mixiもよろしくです!
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ようやく暑さも落ち着き、過ごしやすい季節になりましたね。
でも風邪がちらほらと流行っているそうで、マスク着用、人ごみに行かない、帰宅したらうがいと手洗いは必須ですね。私も気を付けます。
「日本の世直し」。これを何度も当ブログの中で申し上げています。
現在の段階でこれに込められているメッセージは、 『日本人が今よりも自国の歴史・伝統・文化を知り、誇りを持って、日本を創りあげていこう!』ということです。
「日本ってやっぱりダメだなぁ…」
ニュースを見れば暗い話ばっかり、お先真っ暗、明日にでも日本は潰れるみたいなことばかり。
それがニュースだけの話であればいいのですが、それに影響を受けて人々がそういうことを日常会話に出して、どんどん伝染していってしまい、それが本当のようになりつつあるようにも思えます。
『現在』だけ見れば、確かに暗い世の中かもしれません。
でも『過去』はどうだったのでしょうか?それも現在からさかのぼって50年だけではなく、日本という国の成立までさかのぼって見ていくと、決して最初からお先真っ暗な国ではないと思います。
逆にいつも明るい国だったというわけでもなく、苦しい時期も当然ありました。しかし、苦難を乗り越えて「日本」という国号は成立から現在までずっと続いてきました。
(見えにくいと思いますので、画像をクリックすると拡大されて見ることができます。)
義務教育の中で日本史の学習をしてきたと思いますが、日本は幾度となく国難を迎えています。
しかし、いつの時代もそれを乗り越えてきています。これだけ長い歴史を紡いできた日本(ちなみに我が国は現存する中で最古の国家)は、苦難に立ち向かい克服する術を歴史として刻んで蓄積してきており、国難に打ち勝つことは世界で一番得意としているはずで、むしろそれが日本人の誇るべき民族性のひとつであると思います。
したがって、大地震の復旧・復興、原発事故など、現在にある問題を必ず乗り越えることができると私は確信しています。
これらの問題を乗り越えるのは一部の人だけでは無理があります。約1億2千万人の日本人が考え、一致団結して、行動しなければ変えていくことはできません。
そして今の日本には戦後復興のあとの高度経済成長における所得増大などのような『国家目的(国民が総力を挙げてつくりあげるべき国の姿)』が見えていません。だから今の日本には未来にかける想いというのがなく、何でもやることが後手になり、その場限りの判断と行動、いきあたりばったり。
私はこの国の目指すべき国家像というものを、日本人みんなで考えて、決めて、行動に移して、その目指すところへ向かうことの火付け役になりたい、これが世直しの一つだと思っています。
しかし、私はまだまだこうして発する言葉が具体的でなく、うまく伝わっているとは思いません。なぜなら、それは言葉の定義や意味付けということができていないからです。
たとえば「世直し」という言葉。
今、私の目の前にどなたでも来られて「世直しとは何か?/世直しとなるのはなぜだろうか?/世直しは何をすることなのか?」と言われても、自分も相手も納得する答えを導くことは現在の段階では難しいです。
つまり、それは普段から自分が発する言葉というものは勝手な思い込みとイメージでつくりあげられたものに過ぎないからです。さらに言えば、何も考えていないということです。
言葉こそは格好良くて、いかにも高尚に見えるかもしれないけれど、感覚だとかニュアンスだけで伝わればいいと口にして、聞いた人それぞれが意味の捉え違いをしてはその言葉というものが独り歩きしているだけ。
人は言葉によってコミュニケーションをとっています。会話の中で言葉の意味というものを互いに無意識にとらえながら会話が成立しているのが日常です。
意識してみてください。単語一つとっても定義や意味というものは人それぞれバラバラのはずです。それでもってニュアンスだけで話し、聞いているということになると表面上は会話が成立しているように見えますが、深く会話を掘り下げていくと言葉の意味に食い違いがあるということがあると思います。
独特な表現、話し手にしかわからない表現がでてきたときは流したり、あやふやなまま納得せずに「どういう意味?」と聞きかえすことというのがミスのないコミュニケーションをとるうえで重要なことだと思います。
「世直し」という言葉も、独特な表現であり、話し手である私にしかわからない表現です。だから、相手に聞かれる前にその意味をきちんと用意しておく。その目の前の相手に分かる言葉で。
「世」とは何か?「直す」とは何で、「世直し」とはどういう状態なのか?
今回の記事のタイトルは「日本の世直しには、まず」とありますが、世直しをはじめるうえで「世直し」の定義をきちんとかためることが、世直しの第一歩であると私は考えます。
以前にも申し上げました通り、このブログは「日本の世直し」に向けたプロセスを描くものです。考えたことをあますところなくブログという場をお借りして社会全体に述べていき、自分の考えを訴えかけていくものです。
このブログの開設した目的に従って、次回のブログより、「世直しの定義」をテーマに、世直しのそもそもの定義を文献を中心に考察していきます。とても長い記事になると思いますので、区切りのいいところで区切る形でシリーズものにして掲載させていただきます。
長い文章でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
【あなたの町に水戸黄門が行く】
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