Our dear dad has sadly passed away..

He reached the ripe age of 79.  

I'm full of gratitude🌼Thank you.

消えゆく炎の命の最期に逢えました。

京都へ戻る日を1日早めてよかった。

わたし達を待ってくれてたように明け方に  

遠い空へ旅立ちました。2024.10.11.



〜生涯忘れない想い出としてここに遺します〜


お父さん 享年79歳 7人兄弟の末っ子

15年前には当時、煌明2歳、遼明4ヶ月の父、

敏行氏を突然亡くしたその日から、

ある時は父親代わりとして、

いつも優しいニコニコ顔のジイジとして

ふたりを大変可愛がってくれました。




最期のお別れの式はお花いっっぱいの

美しく素敵な祭壇で親族や子ども達も

涙 涙で感謝と笑顔も溢れる

温かい時間になりました。




何より可愛がってくれていた子ども達と

会話する事は叶わなかったけど..

最後まで呼びかけにうんうん。と、頷き

一生懸命に目を開け..

最期に見た景色は私たちでした。


       2024.4.2  今春の帰京で


白馬幼稚園や白馬南小の運動会では

父親がいない2人の父に代わり親子リレーに

ハチマキをして全力で走ってくれたり

入学式.卒業式には父親が居ないと可哀想だから

京都から駆けつけて集合写真にも入ってくれました。



今思えばそれが心の支えだったし

その当時の孤独と不安いっぱいの私には

本当に有り難かったです。


  〜2012.10-29-31  じいじとの沖縄旅行〜


長男が思春期に入り私が思い悩んだ時には

いつもいつも心配してくれ、昨年も様々な困難があり松本の高校を辞めた時には京都の高校への転学を苦渋の選択で受け入れ、実家から通い

3ヶ月間私の母と一緒に生活してくれたのが

今思えば一年後に訪れる訃報を分かっていたかのような奇跡的な大切な時間でした。


     🌸2024.8.18  今夏の帰京にて🌼


今思えば祖父祖母、煌明の生活は華のある時間で親孝行だったのかもしれません。。

その後は長男は京都から白馬へ戻ってしまったけど、その段階で病気が発覚し一旦奇跡的に

回復したものの脳へ転移。


亡くなる5日前までカラオケ🎤に行けたり..

元気だったにもかかわらず急変しアッとゆう間でした。御礼をたくさん沢山言いたかった..😭




      2009.4月 遼明のお宮参り


父は私の白馬での生活やこのSNS投稿が楽しみで大好きでいつも山で見た景色を送ると自慢げに友人に見せたり自分のSNSに投稿したり..笑


  天国とはこうゆう所ですか⁇  

〜2024.10/6  唐松岳尾根から見る五竜岳〜


晩年は私が子供達と白馬で頑張る姿を誇らしく自慢に思ってくれ生きる励みにしてました。

本当に嬉しかった‼︎ ありがとう😭


人生で1番大変な時期に寄り添い乗り越えさせてくれたからこそ今の私達があります‼︎

本当に有難う😭

もうこの投稿も一生..二度と見れないけど..

たくさん沢山冷たくなっていく身体をさすり

感謝を何度も伝えました。




  愛猫ななちゃん❣️16歳


そして人生最期の言葉はやはり

懸命に52年間最期まで寄り添い尽くしてくれた母への感謝の言葉でした。

〝ありがとう、ありがとう” を

連呼していたみたいです。#感謝一杯



消えゆく命の炎の中そう心から想える人に出会えた事が父にとっては最大の幸福だったと感じてます。。


イヤだよ。。寂しいよう。。と泣くなな


ふたりの子ども達には衝撃的な最期でしたが

兄、妹、母、親族、私たちに見守られながら

遠い遠い空へ旅立ちました。




今頃は敏行氏と15年振りに再会し長い歳月の報告話しをしている事だと思います。

空からふたりでずーと見守っていて下さい☆


いつもいつも感謝を心に

白馬でこれからも家族を大切に☘️

笑顔で頑張って生きていきます☆

遺された母を大切に想っていきます☆




旅立ちにはお花をたくさんたくさん詰めて..

涙と感謝一杯の葬儀になりました🌼

素敵な素敵なお別れの会。

笑顔いっぱいのお父さんがいつも側に..

居ます。頑張るよ‼︎



育ててくれて助けてくれて救ってくれて

心からありがとう。 永遠に安らかに☆






       2024.10.11  最期の日


    さようなら またいつか照れ

      合掌🙏 娘 裕美