どうでもいいとは違います
なんでもいいは
これじゃなきゃだめというのがない状態で
どうでもいいというのは投げありな状態のことです
なんでもいいとは
たこ焼きにタコがはいっていなくても
いいんです
タコがはいっていないと
たこ焼きと言わないと決めるのは
こだわりなんです
すき焼きに
お肉がなくてもすき焼きと言われたら
すき焼きなんです(笑)
あなたのことが好きと言われたら
好きなんです
(笑)
人生でこれじゃなきゃいけないって
ことが今まであったかもしれませんが
それって誰が決めたことなのでしょうか?
そうです
自分自身です
実は自分で
自分を苦しめてたりするんです
海に行くなら絶対ハワイじゃなきゃいや
より
近場の須磨ビーチ最高!
って思える方が断然安い早いうまい!
と同じくらいすぐ幸せを感じられるし
ソースも
ホンマはオリバーが好きやけど
オタフクがあったら
それはそれで新鮮で美味しいなと
感じられる幸せ
その違いってなんだと思いますか?
こだわりがない
というこだわりなんです(笑)
例えば
フェラーリとポルシェあげたいんやけど
どっちがいい?って言われたら
どっちでもよろこんで!
っていう心情になりませんか?
それと同じで
ほんとは
どっちでもよかった
ことなんです
恋愛でも結婚でも
最初は絶対この人じゃなきゃ
だめと思っていても
この人じゃなきゃだめなことないかな
と冷静になるのと同じで
人生振り返って
あの時あぁしとけば
こうしておけば
と思っても
答えは同じです
どちらをしても
こうなっていたんですから(笑)
だから
なんでもオッケーなんです
こうじゃなきゃいけないなんてこと
ホンマは一つもないんです
こうしなきゃいけないのかな
という知らず知らずに
刷り込まれてしまっているだけで
全て幻です
なんでもオッケーな境地になると
人のことも氣にならなくなります
だって
この人はこんな人だと
思っていても
実際違っていて当然だし
それも勝手な自分の思い込みにしか過ぎず
勝手な期待が生み出した幻の人なわけです
全てまるごとその人をみれるようになると
全ての人が愛しく感じます
人はそんなに器用ではないし
不器用だからこそ味があるし
完璧と呼ばれるには
不完全なものがあったからです
私の名前にある
『未』は
未来という意味もあり
未知という意味もあり
未完成という意味もあります
だからこそ
人は不完全なものへ
期待や希望を見出すのです
それがステキな未来を導く鍵になるのでは
ないでしょうか
