昨年の10月から約7ヶ月の間、ウチはスゴく心地良さを感じていました
ある人のお陰
きっとそれは、すっごく大きくて深い優しさに包まれとったから
今、ウチはその事をひしひしと感じてる。
ウチにとってそれはホンマに心地良い時間やってん きっとウチは、イイ歳してその優しさに甘えてたんやろなと思う。そう、ウチはきっと幼い子ども達と同じやったんやろな…。
幼い頃、ウチは厳しさの中で両親に育ててもらいました。親にとっては「厳しさ」=「愛情」だったんだろうと思います。
「お兄ちゃんなんやからちゃんとしなさい」
「お兄ちゃんやねんから我慢しなさい」
「お兄ちゃんなんやから…」
なんて言われるのは日常茶飯事。何度言われたことか…
「好きでお兄ちゃんに生まれてきたわけじゃないや」
ってずっと思ってた。
でもだから、
「ちゃんとしてないと叱られる」
「ちゃんとしてないと見捨てられる」
「ちゃんとしてないと…」
ってずっと思ってたような気がする
たまに遠くに買い物とかに連れてってもらうことあって、
母親が「ここで待ってなさいね」って言って一人残されて、母親が暫く戻って来ないといつも「ウチは捨てられたんじゃないやろか?」って不安に思って、ずっと泣きそうになってた
でも、母親が戻ってきても、そんな素振りは見せずに「別に大丈夫だったよ」っていうように装ってたのを覚えてる。
どうせまた「お兄ちゃんなんやからしっかりしなさい」って怒られるのわかってたから…。幼い頃にそんな感情持つのって普通なのかなぁ
そういう事もあってか、ウチは幼い頃に「自分は大切に思われてる」って実感したこと無いねん
叱られた記憶は数知れずあるけど、褒められた記憶なんて全くに近いぐらい無い
だからなのかなぁ…ウチは自分の事を大事に思えないのは…
自尊心がそんなに強くないし、自分に対してイマイチ自信が持てなかったりもした。
別に、その事で親を恨んでるわけでもないねんで それを不幸だったとも思ってないもん
今なら「それがウチの親の愛情の形だったんやろなぁ」って頭では理解してる。それに、そのお陰か知らんけど親からの精神的自立は比較的早かったからね 親には感謝はしてる。
だからやと思う。最初に言ってた約7ヶ月の時間がウチにとって心地良かったのは。
ろくでもないウチのことを心配してくれたり、
ダメな所も含めて自分はありのままでイイんだって認めてくれたり、
ウチも誰かに必要とされているんだと気づかせてくれたり…
ウチは、そんな大きくて深い愛情の溢れる人に見守ってもらってたんです
今、ウチは一人で踏ん張って立ってます
その人に心配掛けないように
その人は今、一生懸命に闘ってるんです
その人に負けてなんかいられません
ウチよりもっと大きい物と闘ってるから
次会える時にはきっと、その人はまた一回りも二回りも強く大きくなっているはずですからね
次会った時に愛想を尽かされないようにしないといけないから…
とは言っても、本当に「次また会える機会」があるのかどうか、今のところ未知数なんですけどね ウチは、「ある」と信じて待ってるだけですから…
ウチも、人に
「君は大事な一人の人間なんだよ」
って思わせてあげるような人でありたいなって思います
そんなに大きな人間ではないですけど…
ウチも、大切なその人を少しでも支えてあげれるような強く大きな人にならないと
p(^-^)q
今日は変な感じで長々と語ってしまった…
最後まで読んでくださった人がおられましたら、ありがとうございました。
m(__)m
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