8月31日 ミャンマー紀行5日目② | 今日は何の日:連想ゲーム?底抜け脱線ゲーム?

今日は何の日:連想ゲーム?底抜け脱線ゲーム?

「今日の誕生日」ブログは終焉。
引き続き「今日」にまつわる事を書いていきます。

連想・妄想・混線・脱線は当たり前田のクラッカー♪

 

 

ミャンマー紀行最終回です。

「シュエモード・パゴダ」を後にして向かったのは「チャイプーン・パゴダ」。
ここはこれまでのパゴダとは趣が違いますよ。

 

 

 

 

仏塔の代わりに4体の巨大な仏像が鎮座しています。東西南北にそれぞれ顔つきの異なる優しい顔をした仏像が遠くを見つめています。

 

 

 

そういえば、バガンの寺院には東西南北に門があり、その奥にそれぞれ仏像が安置されていたのを思い出しました。上座部仏教の特徴なのか、ミャンマー独自のものなのかは不明ですが、すべての方角から来る信者のために門戸を開いていると勝手に解釈しています。

さて、この仏像にはモデルになった4姉妹がいて、彼女の中でもし結婚することになったら、モデルとなった仏像が壊れると信じられていたそうです。果たして、その後結婚した女性のモデル仏像が地震で壊れたそうですよ。迷信じゃなかったのか、ただの偶然か、答えは不明ですが、再建された仏像は非常にきれいです。指はマニキュアのように彩られています。

再び2時間かけてヤンゴンに戻りました。
これまで雨に降られなかった雨季のミャンマーでしたが、ヤンゴンは強い雨。
ガイドブックには、強い雨の時には傘が役に立たないので雨ガッパが必要、と書かれてあり出国直前に購入しましたが、誰一人としてカッパを着ている人はいませんでしたね。雨傘のみで十分でした。

空港への道すがら、最後の見どころ「アウンサンスーチーさんの自宅」前を通過しました。

 

侵入不可能な門構えです。
白黒写真にはアウサンスーチーさんの父「アウンサン」の肖像が写っています。彼は「ビルマ建国の父」と呼ばれ、現在でも尊敬されているそうです。第2次大戦後にイギリスの植民地となったビルマ独立のために、イギリスとの交渉を重ねて独立を勝ち取りましたが、独立の半年前に暗殺されました。
そして60年以上経った2011年、長女のアウンサンスーチーさんがミャンマーの民衆のために民主主義を勝ち取ったわけです。やはり同じ血が流れているんですね。


空港に着いて、残ったミャンマーのお金を使い果たさなきゃなりません。持ち出しが禁じられているんです。
売店を覗いてみました。漆器、安価な翡翠、仏像・・・。めぼしいものが見当たりません。胡麻菓子とマグネットを買っておしまい。

 

ミャンマーの観光産業はこれからという印象で、気の利いたお土産、特に食品関係がほとんどないんですよ。先日見たテレビで、アメリカのセレブが訪れたい国の第2位にたミャンマーがランクインされていました。観光客を呼び込むポテンシャルを十分に活用して欲しいものです。
せっかくなので前日に買ったお土産用のあやつり人形をお見せします。

寺院の仏像の顔が濃いのと同じく、人形まで濃い顔です。


という事で、想像とは全く違い自由な国ミャンマーでした。
遺跡とパゴダに圧倒され、ミャンマービールとミャンマー料理の美味しさに触れ、仏教国であることを認識した旅でした。

あちこちで発展途上の状態でしたが、人々の真面目さから推測すれば、10年後には東南アジア屈指の観光国になっていると思いますよ。その変化を見てみたいですね。


10回にわたりミャンマー紀行を書きました。
どのくらい伝わったかなあ。
10分の1くらいしか伝わってない気がするんですよ。言葉では表せない事が多すぎるんです。
機会があれば是非訪ねて欲しい国、ミャンマーでした