今治西の新旧投手で考える伝統 | アマチュア野球をめぐる旅。

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高校野球を中心にアマチュア野球(ときどきプロ野球)の観戦記。

明治神宮大会(高校の部)準決勝・大垣日大対今治西戦での一考察について。
今治西は背番号11、一年生の林正也を二番手投手としてマウンドに送った。

4回表・大垣日大に先発・日野玲央奈が勝ち越された直後、二死からリリーフ。
175cm・65kgと数字から推測が出来るように均整の取れたバランスの良い体躯。
椿中学時代はボーイズリーグ・松山クラブに所属。地元では注目を集めた選手だったという。
一年生ながら堂々としたマウンド捌きに、投手適正と将来性の高さを感じた。


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ストレートは120km/h台後半を中心に、時折130km/h台を計測。最速では136km/hをマーク。
軸足に貯め込んだ重心をリリースする指先一点に集中させているかのような躍動感のあるストレート。
変化球は110km/h付近の球速でブレーキの利いたカーブを投げ込んでいた。

林の投球を観ていると、今治西の先輩・熊代聖人(日産自動車)に姿を重ね合わせてしまった。
熊代も175cm・73kgという均整の取れた選手だった。体重こそ10kg程違うが見た目に大差は無い。


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左側が林正也、右側が熊代聖人。


仮説と推測になってしまうが、林は熊代に強く影響を受けているように見受けられる。
熊代は07年度の卒業生。林は当時、野球選手として伸び盛りの中学二年生という学年差である。

熊代は06年夏、07年春・夏と三季連続で甲子園出場を果たしている。
三年時、愛媛大会決勝戦(済美戦)は延長11回を完投。自らの適時打で甲子園出場を手繰り寄せた。
07年夏、甲子園大会では準々決勝進出に投打の中心として貢献している。

中学二年生が地元の甲子園出場校の“エースで四番”を目標にしたとしても何ら不思議は無い。
むしろプロ野球選手やメジャーリーガーより手の届く身近な憧れとして至極当然の考えとさえ思える。
何より、グラブの構え方、腕の振り方等々、林の投球フォームは熊代を彷彿とさせる。


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大野監督はベンチ前で圧倒的な存在感


「学ぶ」の語源は「真似る」から派生しているという説がある。
野球のように型を作る事が重要なスポーツは、真似からきっかけを掴む事は多々ある。

振り子打法でも、トルネード投法でも、自分が良いと思ったものは取り入れてみればいい。
伝統は個人レベルにおける「憧れ」や「真似」から作られる事もあるのではないか?
そんな仮説と推測をした林の投球であった。


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神宮球場のワイドアングル