パレルモ・マッシモ劇場 大阪公演 チャンパ ヴェルディ 「椿姫」 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

パレルモ・マッシモ劇場

G.ヴェルディ「椿姫」

(全3幕・原語上演・日本語字幕付)

 

【日時】

2023年6月25日(日) 開演 15:00 (開場 14:00)

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【スタッフ&キャスト】

指揮:フランチェスコ・イヴァン・チャンパ

演出:マリオ・ポンティッジャ

舞台:フランチェスコ・ジート、アントネッラ・コンテ

振付:ガエターノ・ラ・マンティア

 

ヴィオレッタ・ヴァレリー:エルモネラ・ヤオ

アルフレード・ジェルモン:フランチェスコ・メーリ

ジョルジョ・ジェルモン:アルベルト・ガザーレ

フローラ・ベルヴォア:トニア・ランジェッラ

ドゥフォール男爵:イタロ・プロフェリシェ

ドビニー侯爵:ルチアーノ・ロベルティ

アンニーナ:フランチェスカ・マンゾ

ガストン子爵:ブラゴイ・ナコスキ

医師グランヴィル:ジョヴァンニ・アウジェッリ

 

管弦楽・合唱:パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団・合唱団

 

【プログラム】

ヴェルディ:「椿姫」

 

 

 

 

 

友人の厚意で、イタリアはシチリア島のマッシモ劇場による、「椿姫」の大阪公演を聴きに行った。

マッシモ劇場の公演を前回聴いたのは2017年、ゲオルギューが歌った「トスカ」で、これはもう今後これ以上のトスカは聴けないであろう最高の歌唱だった(その記事はこちら)。

今回、彼女はマッシモ劇場来日公演のもう一つの演目「ボエーム」に出演したのだが、前回からはや6年、そろそろ衰えていてもおかしくないと思うと、何となく怖くて聴きに行けなかった(行けばよかったかもしれないが)。

「椿姫」のほうは、より若い歌手たちによるものである。

 

 

 

 

 

ヴェルディの「椿姫」で私の好きな録音は

 

●ショルティ指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管 1994年12月ロンドンライヴ盤(DVD、音のみならNMLApple MusicCDYouTube

 

あたりである。

ショルティ最晩年の肩の力の抜けた老職人芸もさることながら、この盤の魅力は何といってもヴィオレッタ役のゲオルギューの歌唱。

社交界の花形としてのカリスマ性と、一女性としての脆さとを、絶妙なバランスで共存させたヴィオレッタ像となっている。

彼女に比べると、マリア・カラスの歌はやや立派すぎ、ネトレプコの歌はやや線が細すぎる。

声質としても、ゲオルギューはとりわけつややかだと思う。

また、アルフレード役のロパードが良い声すぎないのもよい(ディ・ステファノなど貴族のお坊ちゃんに聴こえない歌いっぷり)。

父役のヌッチも、バスティアニーニほど威厳たっぷりでなく、優しそう。

 

 

前置きが長くなったが、今回のヴィオレッタ役のエルモネラ・ヤオは、声の線が細くてゲオルギューのようにはいかず、高音域の強音が荒れがちだったけれど、そのぶん弱音には繊細さがあって、第2幕の幕切れの独白など悲痛さがよく表現されていた。

アルフレード役のフランチェスコ・メーリは、上で“良い声すぎない”と書いたロパードよりも声質は硬いけれど、そのぶん歌い方は丁寧だった。

父役のアルベルト・ガザーレは、上記ヌッチにもけっこう迫るような良い声だった。

その他、フローラ役のトニア・ランジェッラの声が良かった。

 

 

フランチェスコ・イヴァン・チャンパの指揮は、ショルティのような手練れ感はあまりなく、最初のほうなど縦の線をそろえるところから難渋していたようだったが、それでも何だかんだでサマになるのがこの曲の良いところ。

それに、なんといってもイタリアのオーケストラの明るい音色が心地よく、それは上記ショルティ盤にもないものである。

演出もオーソドックスかつ華やかで、生のオペラを観る楽しみは十分に味わえた。

 

 

 

 

 

それにしても、客席はほぼ満席、頻繁にブラボーが飛び交い、終演後には1階席全員スタンディングオベーション、普段のオーケストラや器楽のコンサートでは見かけない光景に、やっぱりオペラ、それも「椿姫」は人気なんだなぁと感慨深かった。

私が「椿姫」を舞台で観るのは、今回なんと19年ぶり(前回の記事はこちら、記録のみ)。

前回はヴィオレッタを息子から引き離そうとする“悪い人”として何も疑わず観ていたジョルジョ・ジェルモンの言い分が、今回は分かってしまう自分が嫌になる。

ヴィオレッタに執着する第2幕のアルフレードの無様な姿さえ、今の私には眩しい。

昔は、「椿姫」のアルフレードよりも、自ら身を引く「マイスタージンガー」のザックスや「ばらの騎士」の元帥夫人に共感して、大人になったような気になっていた。

今や、そこから一周回って、「椿姫」のジョルジョ・ジェルモンに近づいてきてしまった、訳知り顔の嫌な大人である。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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