上里はな子 島田彩乃 京都公演 シューマン ヴァイオリン・ソナタ第1、2番 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

「R.シューマン」

※ライブストリーミング配信

 

【日時】

2021年4月16日(金) 開演 19:00

 

【会場】

カフェ・モンタージュ (京都)

 

【演奏】

ヴァイオリン:上里はな子

ピアノ:島田彩乃

 

【プログラム】

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 op.105

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 op.121

 

 

 

 

 

下記リブログ元の記事に書いた前回公演に引き続き、カフェ・モンタージュのオンラインコンサート配信を聴いた。

上里はな子と島田彩乃による、シューマンのヴァイオリン・ソナタ2曲である。

 

 

 

 

 

シューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番で私の好きな録音は

 

●セントヘイ(Vn) シフ(Pf) 1975年頃セッション盤(Apple Music

●I.ファウスト(Vn) アーフェンハウス(Pf) 1999年3月22-25日セッション盤(NMLApple MusicCDYouTube

●F.ロビヤール(Vn) クイデル(Pf) 2019年3月14-18日セッション盤(Apple MusicCDYouTube

 

あたりであり、またシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番で私の好きな録音は

 

●I.ファウスト(Vn) アーフェンハウス(Pf) 1999年3月22-25日セッション盤(NMLApple MusicCDYouTube

●J.フィッシャー(Vn) チェルニャフスカ(Pf) 2014年以前?ライヴ(動画

 

あたりである。

 

 

今回の上里はな子らの演奏は、清涼な風のようなこれらの演奏とは毛色の違った、ずっしりと重厚なドイツらしいシューマン。

まるで、ブラームスのヴァイオリン・ソナタが2曲増えたかのよう。

カノン風に書かれた第1番の終楽章は、彼女が弾くとブラームスのチェロ・ソナタ第1番のフーガ風の終楽章のように、堅固で立派な音楽となる。

第2番の緩徐楽章も、彼女の手になるとブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番の緩徐楽章のように、人生の重みをもって響く。

フルトヴェングラーの振るシューマンの交響曲第4番が、まるでブラームスの交響曲第1番のように奏されるのと似ている(彼女の演奏がフルトヴェングラー風というわけではないが、この点では共通している)。

 

 

シューマンはもっとシューベルト風の「軽み」を本領とする人だったような気もするのだが、それでも彼女やフルトヴェングラーのシューマンを聴くと、大きな充実感に満たされる。

重厚な演奏をするヴァイオリニストは彼女以外にも数多くいるけれど、重厚でありながらも表現が濃くなりすぎず端正で丁寧、正統的なドイツ音楽の滋味を感じさせてくれる人は、めったにいない。

思えば、私が彼女の演奏を初めて聴いたのもシューマンだった(その記事はこちら)。

詳しくはそこに書いたけれど、それ以来彼女のシューマンを聴くといつも、ベートーヴェンやブラームスにあってシューマンにはないと思われたもの―シューベルト風の「軽み」とは全く別の要素―が、実はシューマンにも潜んでいることを教えられる。

 

 

ところで、共演ピアニストはいつもの松本和将でなく、島田彩乃。

おそらく演奏を聴くのは初めてだと思うが、聴いてみると松本和将同様、上里はな子に呼応する重厚な音楽をする人であった。

そういえば、上里はな子の共演者は下記リブログ元の記事の公演をはじめ、彼女と近しい音楽性をもっていることが多い気がする。

もしかしたら彼女は飄々としているようで、実は己の音楽の追求のため、共演者の選定に細かく神経を使う人なのかもしれない。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 

 

 


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