映画「蜜蜂と遠雷」
【劇場公開日】
2019年10月4日
【解説】
直木賞と本屋大賞をダブル受賞した恩田陸の同名小説を、松岡茉優、松坂桃李、「レディ・プレイヤー1」の森崎ウィンら共演で実写映画化。ピアノの天才たちが集う芳ヶ江国際ピアノコンクールの予選会に参加する若き4人のピアニストたち。母の死をきっかけにピアノが弾けなくなったかつての天才少女・栄伝亜夜は、7年の時を経て再びコンクールへの出場を決意する。音大出身だが現在は楽器店で働くコンクール年齢制限ギリギリの高島明石は、家族の応援を背に最後の挑戦に臨む。名門ジュリアード音楽院在籍中で完璧な演奏技術と感性を併せ持つマサル・C・レビ=アナトールは、優勝候補として注目されている。そして、パリで行われたオーディションに突如現れた謎の少年・風間塵は、先ごろ亡くなった世界最高峰のピアニストからの「推薦状」を持っており、そのすさまじい演奏で見る者すべてを圧倒していく。熱い戦いの中で互いに刺激しあい、それぞれ葛藤しながらも成長していく4人だったが……。松岡が亜夜を演じるほか、松坂桃李が明石、森崎がマサルに扮し、映画初出演の新星・鈴鹿央士が塵に抜てきされた。監督・脚本は「愚行録」の石川慶。
【スタッフ】
監督:石川慶
原作:恩田陸
脚本:石川慶
製作:市川南
エグゼクティブプロデューサー:山内章弘
プロデューサー:佐藤善宏、石黒裕亮、加倉井誠人
ラインプロデューサー:大西洋志
プロダクション統括:佐藤毅
撮影監督:ピオトル・ニエミイスキ
照明:宗賢次郎
録音:久連石由文
美術:我妻弘之
装飾:篠田公史
スタイリスト:高橋さやか
ヘアメイク:酒井夢月
スクリプター:藤島理恵
VFXスーパーバイザー:廣田隼也
編集:太田義則
音響効果:柴崎憲治
劇中音楽:篠田大介
音楽プロデューサー:杉田寿宏
「春と修羅」作曲:藤倉大
ピアノ演奏:河村尚子、福間洸太朗、金子三勇士、藤田真央
オーケストラ演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
助監督:川口浩史
製作担当:相良晶
【キャスト】
栄伝亜夜:松岡茉優
高島明石:松坂桃李
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール:森崎ウィン
風間塵:鈴鹿央士
高島満智子:臼田あさ美
仁科雅美:ブルゾンちえみ
ジェニファ・チャン:福島リラ
眞島秀和
片桐はいり
菱沼忠明:光石研
田久保寛:平田満
ナサニエル・シルヴァーバーグ:アンジェイ・ヒラ
嵯峨三枝子:斉藤由貴
小野寺昌幸:鹿賀丈史
【作品データ】
製作年:2019年
製作国:日本
配給:東宝
上映時間:119分
映倫区分:G
以上、映画.comのサイトより引用した(引用元のページはこちら)。
リブログ元の記事に書いていた、ピアノコンクールを題材にした小説、「蜜蜂と遠雷」。
それが今回実写映画化されたということで、観に行った。
概ね小説と同じ流れだったが、違う点もあり、それらは小さな違いのようでいて、実は全体の印象を大きく変えるものもあった。
以下、そのことについて書きたいが、ネタバレを含むため、まだ観ていない方はご注意を。
映画の2時間の枠に収めるために、登場人物を端折ったり、オーディションや予選のシーンを大胆に省いたりしていたが、これは映画として効果的であり、成功していたように思う。
また、ピアノの音やオーケストラの音、雨音や雷鳴の音など、小説では言葉によってしか表すことができない「音」を実際に表現できるのも、映画の大きな強みである。
楽器の音はいずれも一流も演奏家のものが使用されているし(ちなみに残響が多く音量レベルの大きい、音楽鑑賞向きというよりは映画仕様の音質)、自然の音も美しかった。
そして、役者の人たちも、皆それぞれの役のイメージにかなりよく合っていたと思う。
ただ、原作のほうが良かったと感じる点もある。
大きく分けて2点あるのだが、一つ目は、天才たち、特に風間塵の扱いである。
原作では、風間塵、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールの3人は、特別な天才として扱われる。
特に風間塵は、聴衆には熱狂させ、演奏家には嫌悪感すら覚えさせるほどの、圧倒的な才能として描かれる。
「生活者の音楽」は彼ら天才には敵わないのか、と自問自答しつつ努力し挑戦した高島明石が全く太刀打ちできないほどの、歴然たる差なのである。
それが、映画ではあまり強調されていなかった。
普段の風間塵の素朴ながら不思議な少年っぷりはよく出ていたが、ひとたびピアノに触れば「なんだこれは!」と皆が驚愕するほどのおそるべき才能についてはあまり描かれなかった。
これは、良くない。
なぜなら、これこそが、この作品の大事なテーマの一つだと私は思うからである。
この、スターピアニストとそうでないピアニストとの間の圧倒的な違いは、決してフィクションではなく、真実にほかならない。
ただ、厳密に言うと、スターピアニストとそうでないピアニストに二分されるわけではなく、その間にはいくつもの段階がある。
スターピアニストとまではいえなくとも才能のある人は、誠実な努力や曲との相性によっては、ときにスターピアニスト以上の演奏ができ、審査員に認められたり、ファンができたりする。
コンクールにはそういった側面もあることを忘れてほしくなくて、私はリブログ元の記事にその旨を書いたのだった。
しかしそれは、「コンクールは原則としてスターピアニストのためにある」という厳然たる前提があってのことなのである。
その大前提を、原作はしっかりと描写できていたが、映画は不十分だったように思う。
二つ目は、物語全体のトーンである。
この映画は、全体的に暗い雰囲気に覆われているように私には感じられた。
マサルは本選で指揮者やオーケストラとの確執があったり、栄伝亜夜はかつてドロップアウトした演奏会のつらい思い出から最後まで抜け出せず、本選で逃げ出そうとしたり、といった苦難の筋書きに変えられていた(いつも演奏が止まってしまっていた第1楽章展開部を本選で乗り越え、序奏部の再現に到達したシーンは、まるで地平が開けるようで感動的だったのではあるが)。
高島明石が予選落ちしたシーンも、原作以上に重い(ここは迫真の名演技だったけれど)。
これらの暗いトーンは、この映画全体を「本格的な」印象にするのに役立ってはいた。
ただ、原作はもっと明るかった。
登場人物たちはコンクールの合間に街に繰り出して無邪気にはしゃぎ、鰻を食べたり写真を撮ったり、また恋愛要素まであったりする、むしろライトと言ってもいいような青春ドラマ風の物語だったのである。
コンクールはもちろんつらく苦しいものだろうけれど、それでも若者らしい飄々とした姿は、実際のところに近いのではないだろうか(状況は違うが似たような光景を見たことがある)。
「本格派」な雰囲気としては、映画のほうに軍配が上がるかもしれないが。
また、原作では栄伝亜夜は、ドロップアウトの苦悩を引きずっているというよりは、ピアノを最前線でやっていくかどうかで迷っていたのであって、コンクール自体はむしろ楽しんでいた。
そして、コンクールで風間塵の演奏を聴いて、そのあまりの素晴らしさに影響され、彼女自身も成長して、今後の音楽との関わり方への決意を固めたのだった。
そんな彼女の演奏は、今度は高島明石に強く影響して、今後も音楽と関わっていく決意をさせる。
そう、原作では、厳然たる才能の差が描かれながらも、それが暗い影を落とすというよりは、むしろ天才たちの音楽が聴き手に次々と幸福をもたらしていく様が描かれるのである。
天才の演奏がもたらす「音楽のパワー」は、決してフィクションではなく、実際にあると思う。
彼らの演奏には、音楽ってなんて素晴らしいんだろう、自分もやっぱり音楽が好きだ、これからもずっと関わっていきたい、と聴き手に感じさせる、ポジティブな、かつ絶大な影響力がある。
それはあまりに圧倒的なので、最初は嫌悪や絶望を感じる人もいるけれど、最後には皆を大きな幸福感に包んでしまうのだ。
この幸福な「音楽のパワー」は、この作品のもう一つの重要なテーマだと私は思うのだが、映画ではあまり描かれなかった。
映画では、マサルや栄伝亜夜が苦難を乗り越えたのも、「音楽のパワー」によってというわけではないように私には見えた。
色々書いたけれど、音について、音楽について、天才について、改めて考えさせてくれる映画だったように思う。
この映画をきっかけに、音楽コンクールがもっともっと注目されることを願っている。
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