ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 ミヒャエル・ザンデルリング ブラームス 交響曲第1番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

首席指揮者:ミヒャエル・ザンデルリンク

ヴァイオリン:ユリア・フィッシャー

 

【日時】

2019年7月3日(水) 開演 19:00

 

【会場】

サントリーホール (東京)

 

【演奏】

指揮:ミヒャエル・ザンデルリンク

ヴァイオリン:ユリア・フィッシャー *

管弦楽:ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

 

【プログラム】

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77 *

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op. 68

 

※アンコール(ソリスト) *

パガニーニ:24のカプリース op.1 より 第2曲 モデラート

 

※アンコール(オーケストラ)

ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番

 

 

 

 

 

ドレスデン・フィルの来日公演を聴きに行った。

リブログ元の記事に書いたように、ユリア・フィッシャーのヴァイオリンを聴くためである。

私の思う世界3大ヴァイオリニストは、五嶋みどり、アリーナ・イブラギモヴァ、そしてユリア・フィッシャー。

3人とも、細身で繊細な音作りと、高度に洗練された技巧を持つ。

その中で私は、秋のような侘しさを聴きたいときには五嶋みどりを、春のような清々しさを聴きたいときにはイブラギモヴァを、そしてドイツ風のまろやかな味わいを聴きたいときにはフィッシャーを聴く。

いわゆる3大ヴァイオリン協奏曲であるベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスは、いずれもフィッシャーが大の得意とする曲である。

私は、上記の3人の中でフィッシャーだけはまだ実演を聴いたことがなく、今回彼女が来日し得意のブラームスを弾くとあっては、聴き逃すわけにいかなかったのである。

 

 

ブラームスのヴァイオリン協奏曲で私の好きな録音は、

 

●メニューイン(Vn) フルトヴェングラー指揮ルツェルン祝祭管 1949年8月29~31日セッション盤(NMLApple MusicCD

●ハイフェッツ(Vn) ライナー指揮シカゴ交響楽団 1955年2月21、22日セッション盤(Apple MusicCD

●オイストラフ(Vn) クレンペラー指揮フランス国立放送管 1960年11月セッション盤(NMLApple MusicCD

●ユリア・フィッシャー(Vn) クライツベルク指揮オランダ・フィル 2006年12月セッション盤(NMLApple MusicCD

●五嶋みどり(Vn) メータ指揮ミュンヘン・フィル 2013年2月13日ミュンヘンライヴ盤(動画)

 

あたりである。

中でも、フィッシャーの演奏は現代におけるスタンダードともいうべきものである。

今回の演奏は、このCD録音から13年も経っているし、またライヴ一発なので、完成度は多少低くても仕方ないと思いながら聴き始めたのだが、杞憂だった。

CDと比べても遜色ない、ほぼ完璧な演奏。

音程も、ここまで合うかというほどに合っている。

それだけではない。

オーケストラによる呈示部が終わり、ソロのアインガングが始まる際、CDで聴くよりもさらにずっと音が美しいのに驚いた。

響きがホールの中に溶け込み、まるでつややかなシルクのよう。

細身の禁欲的な音を持つ五嶋みどりやイブラギモヴァとはまた違った、細身ながらもドイツ的な芳醇さの香り立つ音である。

そしてこのアインガングから第1主題にかけて、妙にもったいぶったタメを入れる演奏が多いのだが、彼女は厳しくインテンポを保ち、気品と推進力を失わない。

経過句や第2主題の重音も完全に安定していて美しい。

コデッタの激しさ、また展開部後半のトリルに始まる再現部へ向けての長い長い緊張の充溢とその爆発。

ヨアヒム作のカデンツァと、それに続く高音域の第1主題の朗々たる歌。

こうした、この曲の重要な起承転結を、俗っぽくすることなくインテンポで厳格に表現し、それでいてサラサラしすぎることなく充実した力感、迫力を感じさせてくれる。

完成度が高いというだけでもすごいのに、それに加えてこのようにこの曲に欠かせないポイントをしっかり押さえているというのは、稀有なことだと思う。

第2、3楽章も同様。

最後の行進曲風の部分に至るまで、私にとってはこれ以上望むべくもない、この曲の理想に近い演奏だった。

 

 

アンコールのパガニーニも、技巧のみならず音楽性の豊かさまで感じさせる余裕があり、実に見事。

最近、アンコールでパガニーニを弾く人が減ってきている気がする(その分イザイが増えた?)。

パガニーニで聴き手を唸らせるのは、相当な弾き手でなければ難しいのかもしれない。

 

 

後半のプログラムは、ブラームスの交響曲第1番。

この曲で私の好きな録音は、

 

●フルトヴェングラー指揮ルツェルン祝祭管 1947年8月27日ルツェルンライヴ盤(CD

●フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル 1947年11月17-20、25日セッション盤(CD

●フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1952年2月10日ベルリンライヴ盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮ベルリン・フィル 1963年10月11、12日セッション盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮ベルリン・フィル 1977年10月20日、1978年1月24-27日、2月19日セッション盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮ベルリン・フィル 1987年1月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

つまりは、フルトヴェングラーとカラヤンの演奏が好き、ということである。

ところで、今回の指揮者、ミヒャエル・ザンデルリングの兄である、シュテファン・ザンデルリングの振った同曲も、私は聴いたことがある(そのときの記事はこちら)。

兄の演奏は、どちらかというと素朴な印象だったのに対し、今回の弟の演奏は、速めのテンポですっきりとした今風のアプローチだった。

第1楽章の第2主題でテンポをやけに落としたり、終楽章のコーダでやたらとテンポアップしたり、といったわざとらしいことを一切しない。

その点では垢抜けていて、「おや」と思うことなく安心して聴くことができる。

ただ、感動したかというと、そうはならなかった。

なんだかサラサラしていて、ひっかかりがないのである。

私としては、上記のフルトヴェングラーやカラヤンのように、一つの壮大な物語としてのクライマックスを形作ってほしい。

まぁしかし、このあたりは好みの問題もあるだろう。

ドレスデン・フィルのドイツらしい音色もあって、それなりに楽しむことができた。

 

 

なお、アンコールのハンガリー舞曲では、テンポをいったん落としてからまた上げる、という箇所が何度か出てくるのだが、その最後の箇所ではかなり長いタメと遅いテンポを採用していた。

これまでわざとらしいことを一切してこなかった彼が、最後の最後でこのように遊び心を見せるのは、なかなか効果的で面白かった。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 

 

 

 

 


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