古海行子 テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ モーツァルト ピアノ協奏曲第26番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ

第19回定期演奏会 

 

【日時】

2019年6月29日(土) 開演 14:00

 

【会場】

昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ (川崎)

 

【演奏】

ピアノ:古海行子 *

指揮:時任康文

管弦楽:テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ

 

【プログラム】

モーツァルト:「魔笛」 序曲

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第26番 ニ長調 K.537 「戴冠式」 *

ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

 

※アンコール(ソリスト) *

メンデルスゾーン:無言歌 ホ長調 op.19-1 「甘い思い出」

 

 

 

 

 

昭和音楽大学のオーケストラの定期演奏会を聴きに行った。

というのも、好きなピアニスト、古海行子がソリストとして出演するためである。

 

 

彼女は、高松国際ピアノコンクール(それについての記事はこちらなど)やショパンコンクールインアジアのプロフェッショナル部門(それについての記事はこちらなど)で、見事優勝を果たしている。

最高度に洗練された技巧を持つという点で、つい先日チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で第2位を受賞した同い年のピアニスト藤田真央(それについての記事はこちらなど)とともに、日本のピアノ界のツートップと言ってもいいように思う。

今回のモーツァルトの「戴冠式」も、本当に素晴らしい演奏だった。

 

 

モーツァルトのピアノ協奏曲「戴冠式」は、実はモーツァルトの自筆譜に左手の伴奏が書かれていない箇所が多く(自分で弾くので書く必要がなかったのか)、出版に際し第三者の手で補筆されている。

その補筆が何ともいまいちで、モーツァルトならこうは書かなかっただろうと思われるような、センスのないユニゾンが多い。

それもあって、私はこの曲が少し苦手なのだった。

アンドラーシュ・シフのように、モーツァルトの様式に近づけて書き直したものを弾いてくれると良いのだが。

 

 

しかし、古海行子が弾くと、補筆部のセンスのないユニゾン音型ですら美しく響くのだから、不思議なものである。

もちろん、ユニゾン音型に限らず、あらゆる箇所が美しい。

右手も左手も、どこもかしこも音の粒が驚くほどよく揃い、滑らかでムラがなく、「歌」になりきっている。

といっても、藤田真央のモーツァルトの夢見るような歌とはまた違う。

陶酔というよりは覚醒した、冷静で落ち着きのあるシックな味わいを持つ歌である。

どちらも素晴らしくて甲乙つけがたいが、モーツァルトらしい古典的均整を保っている点では、古海行子のほうに軍配が上がるか。

第1楽章の第2主題や、第2楽章の主要主題といったシンプルなメロディが、ほんのりと自然に情感を込められ、いかに感動的に奏されることか。

終楽章の一見機械的な速いパッセージが、そのフォームを崩さぬまま、なんと清々しい歌に満たされることか。

きびきびした中にも、どこかしっとりとした趣のある演奏。

モーツァルトを聴く最高の醍醐味が、ここにはある。

 

 

蛇足ながら、先日の仙台国際音楽コンクールのピアノ部門で第5位を受賞した名手である平間今日志郎もまた、古海行子や藤田真央と同い年のようである。

彼らの生まれた1998年という年は、山本貴志・佐藤卓史・小菅優の生まれた1983年以来の、日本のピアニスト史上最高の「当たり年」と言ってもいいのかもしれない。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


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