キアロスクーロ四重奏団 兵庫公演 メンデルスゾーン 弦楽四重奏曲第1番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

キアロスクーロ・カルテット

 

【日時】

2019年4月27日(土) 開演 14:00 (開場 13:30)

 

【会場】

兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール

 

【演奏】

キアロスクーロ・カルテット

 第1ヴァイオリン:アリーナ・イブラギモヴァ

 第2ヴァイオリン:パブロ・エルナン・ベネディ

 ヴィオラ:エミリエ・ヘーンルント

 チェロ:クレール・ティリオン

 

【プログラム】

バッハ:「フーガの技法」 より コントラプンクトゥス1、4、9

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 op.12

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1 「ラズモフスキー第1番」

 

※アンコール

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第2番 ト長調 op.18-2 より 第3楽章

 

 

 

 

 

古今東西の弦楽四重奏団の中でも三本の指に入る(と私が考えている)、キアロスクーロ四重奏団。

彼らが今回来日したので、そのコンサートを聴きに行った。

彼らの演奏を前回聴いて以来、3年ぶりである(前回の記事はこちら、記録のみ)。

 

 

演奏は期待通り、実に素晴らしいものだった。

バッハの「フーガの技法」抜粋、あからさまなニュアンス付けはせず、バロックらしいすっきりとした解釈なのだが、「何もしない」演奏とはわけが違う。

実はあらゆる部分においてフレーズの伸ばし方、アーティキュレーションの付け方が計算しつくされている。

その結果、音楽はきわめて高い緊張感の漲るものとなる。

すごいバッハだった。

 

 

そして、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番にいたっては、私はもともと

 

●アマデウス四重奏団 1969年11月18日放送録音盤(NMLApple MusicCD

●ヘンシェル四重奏団 2002-2004年セッション盤(Apple MusicCD

●パシフィカ四重奏団 2002年12月、2003年10月、2004年3月、6月セッション盤(NMLApple MusicCD

●Consone Quartet 2018年頃?セッション盤(Apple MusicCD

 

あたりの録音が好きなのだが、今回のキアロスクーロ四重奏団の演奏はこれらをはるかに凌ぐものだった。

4人の奏者全員のレベルが高く、洗練され、かつ音楽の方向性がよくそろっている。

だが、やっぱり第1ヴァイオリンのアリーナ・イブラギモヴァは桁違いにうまい。

なんとすさまじく繊細な音のコントロールだろう!

最弱音から最強音まで、あらゆる音に全くと言っていいほどムラがない。

一つ一つのフレーズがどのようなウェーブを描けばいいのか、彼女には全てが見通せていて、かつそれらを正確に実行できている。

ちょっとした間の取り方やテンポ変化も絶妙。

第2楽章のトリオ部分や、サルタレロ風の終楽章といった、急速な箇所でのキレ味も抜群。

まさに「人工美の極致」である。

それでいて、彼女の音楽に人工臭は全くない。

若きメンデルスゾーンのみずみずしい情感が、何とも自然に息づいているのである。

第1楽章や終楽章のコーダなど、高所から救済の光が差し込むかのようで、あまりの美しさに涙せずにはいられなかった。

もはや人間業とも思えない最高峰の技芸を、日本にいながらにしてこんなにも手軽に体験できることに、感謝するほかない。

 

 

後半の、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番。

この名曲には数えきれないほど多くの名盤があるけれど、中でも

 

●ハーゲン四重奏団 2002年4月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

は、風格と完成度との両立・融合という点において別格だと私は思っている。

今回のキアロスクーロ四重奏団の演奏は、前半のバッハやメンデルスゾーンと同様の高い完成度を実現していたけれど、ハーゲン盤に聴かれる風格というか、どっしりとした安定感、梃子でも動かぬ一貫性のようなものは、聴かれなかった。

そして、「弦楽四重奏におけるエロイカ交響曲」ともいうべきこの曲においては、そういった風格がどうしても欠かせないのだということを改めて思い知った。

ただし、これはキアロスクーロ四重奏団が「劣る」というのではなく、曲との相性の問題だと思う。

先日のブラームスの協奏曲でも感じたことだが(その記事はこちら)、イブラギモヴァには長調のどっしりとした雄大な曲(つまり「エロイカ」風の曲)はあまり合わないのではないか。

そして、キアロスクーロ四重奏団においてはおそらくイブラギモヴァが指揮者的な役割を担っており、彼らの音楽の方向性を決定づけているため、彼女の向き不向きがカルテット全体の向き不向きとしてそのまま投影されるのだと思われる。

前半と全く変わりなく完成度が高いのに、こんなにも精彩を欠くなんて、とむしろ興味深く思えるほどだった。

細部の工夫にも事欠かないのだが、それらがこの曲においては裏目に出てしまった感がある。

指揮者アバドの洗練された音楽が大好きな私だが、例えばエロイカ交響曲やブラームスの交響曲第2番となると、どうしてもフルトヴェングラーやカラヤンのどっしりとした演奏を聴きたくなってしまうのと、似ているかもしれない(ただしアバドのエロイカは、これはこれで素晴らしいのだけれど)。

音楽というものは、これだから面白い。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


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